かわらじ先生の国際講座~北朝鮮の「軍事偵察衛星」をめぐる考察

日本政府の発表によれば、5月29日に北朝鮮は日本に対し、同月31日から6月11日のあいだに軍事偵察用の人工衛星を打ち上げると事前通告してきたとのことです。さらに、船の航行への影響があり得る海域として、朝鮮半島西側の黄海上の2ヵ所とフィリピン・ルソン島東側の計3ヵ所を挙げ、注意を喚起した由。同日、朝鮮労働党幹部が軍事偵察衛星1号の発射予告に関する声明を出し、翌30日には朝鮮中央通信が、公式声明としてこれを公表しました。
5月31日、北朝鮮は国営メディアを通じ、軍事偵察衛星「万里鏡1号」をロケットに搭載し打ち上げたが、黄海上に墜落したと公表しました。ロケットの1段目を分離後、2段目の異常で推進力を失い失敗したのだとか。6月1日朝鮮労働党副部長の金与正氏が軍事偵察衛星に関する談話を出し、近いうちに打ち上げを成功させると表明しました。
ここで疑問を抱きました。北朝鮮は今までに何度も、事前通告もなく弾道ミサイルを打ち上げてきました。それなのに、なぜ今回は事前通告をしてきたのでしょう?北朝鮮の対外政策が軟化の方向に変わり始めているのでしょうか?

たしかに事前通告は異例です。北朝鮮が今回この異例なことを行った理由について、いくつかの仮説を立ててみたいと思います。
第1は、日本への歩み寄りを示そうとしたのだという解釈が成り立ちます。というのは、5月27日にわが国の岸田首相が都内で開かれた「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」で挨拶をし、早期に北朝鮮の金正恩委員長と条件を付けずに首脳会談を行いたいと述べたところ、その2日後(すなわち北朝鮮が人工衛星打ち上げの事前通告をしてきた日)に、北朝鮮の外務次官が「日本が新たな決断を下し、関係改善の活路を模索しようとするなら、両国の首脳が会えない理由はない」と表明したのです。首脳会談に関する両国の肯定的な発言と、北朝鮮側の人工衛星打ち上げ事前通告とは、相関関係があるのではないか。そう思えるのです。

とすると、日朝関係の「雪解け」が期待できるのでしょうか?

それは早計と言わざるを得ません。北朝鮮が平和利用のための人工衛星を上げたのならまだしも、今回打ち上げたのはあくまでも軍事偵察を目的とした衛星なのです。これは米国とその同盟国(日本や韓国)の軍事行動(合同演習など)を即時に追跡、監視するためのもので、ミサイル攻撃の精度を一段と高めるべく利用されるものです。これを我々は容認できないでしょう。それに、これが本当に人工衛星なのかどうかも怪しい点があります。

といいますと?

人工衛星も攻撃ミサイルも打ち上げの原理は同じだからです。弾道ミサイルの先に人工衛星を装着すれば、人工衛星用ロケットになりますし、核弾頭を装着すれば核ミサイルになります。今度も北朝鮮は、人工衛星であることを隠れ蓑として、実は核ミサイルの飛翔実験をしたのではないかとの疑惑があるのです。ちなみに国連安保理決議では、北朝鮮に対し「あらゆる弾道ミサイル技術を使用した発射」を禁じています。そこで今回も日米が呼びかけて国連安保理事会が招集され、北朝鮮への非難声明を出そうとしましたが、中国とロシアに阻まれて実現しませんでした。

これが実質的に攻撃用の弾道ミサイル実験だったとして、それと事前通告とはどんな関係があるのでしょう?

以前にも北朝鮮は、アメリカ大陸を射程に収めたICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験を行っていましたが、米国を刺激しないために、飛行距離を制限し、日本海あるいは日本列島を超えるにせよ、ある限度内の太平洋上に落下させていましたが、やはり実験の精度を上げるためには、長距離を飛ばしてみる必要があります。人工衛星を飛ばすのだと宣言すれば、それを公然と行えるわけです。今回のケースはそれだったのではないかとの説もあります。

北朝鮮の国民はこの事前通告をどう受け止めたのでしょう?

実はこの事前通告は、北朝鮮の国民向けだとの見方も可能なのです。北朝鮮国内は干ばつなどの影響で食糧事情が悪化し、国民の生活は切迫しています。そんな情勢下で放恣なミサイル実験が繰り返されたら、世論の反発は免れません。しかし軍事偵察衛星に関しては2021年1月の党大会でその開発が明言され、昨年12月には開発が最終段階に入ったとされ、4月には完成したと報じられていましたから、それを事前通告することは国民の反応を確かめる上で好都合ですし、自国の「健全さ」を自国民にアピールすることにもなったはずです。しかし、打ち上げの失敗は誤算だったでしょう。

中国とロシアは、国連安保理で北朝鮮の軍事偵察衛星の打ち上げを擁護したとのことですが、実際のところはどうなのでしょうか?

重要なポイントです。両国とも表向きは北朝鮮をかばっているように見えますが、本当は望ましいこととは考えていないでしょう。なぜなら、北朝鮮がいくら性能の高いミサイルを開発しても、攻撃ターゲットに関する情報収集能力がなければ実戦には使えません。従来ですと中国やロシアの人工衛星からその情報を得るほかなかったわけですが、北朝鮮が自前の軍事偵察衛星を保有してしまうと、もはや中国やロシアは軍事面で北朝鮮を管理下に置けなくなってしまいます。ミサイル使用に関する北朝鮮の完全な自立化は、中露にとっても不測の事態を招きかねないリスクを高めるわけで(例えば米国と北朝鮮の軍事衝突など)、むしろ今回の打ち上げ失敗を内心歓迎しているでしょう。北朝鮮が次にいつ人工衛星を打ち上げるのか不分明ですが、今後の動向を注視したいところです。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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