アメリカ大学協会が教育への法的規制に抗議

学校の教科書採択や教師の言動への政治的に不当と思われる圧力の話は、カナリア倶楽部の記事でも取り上げてきました。大学の授業についても、過剰ではないかと思われる規制があることもありますし、日本と他国との間で意見の相違があるトピックを扱う授業に対して、行政的なチェックを強化するようにと政治家が圧力をかけたこともありました。それでもまだ日本の場合は、それらの圧力が法律になるには至っていないと思うのですが、米国は心配な状況になっているようです。米国で起きていることは、数年遅れて日本にやってくるということがあったりしますが、今回はアメリカ大学協会(AAC&U)が6月8日に出した声明を紹介します。
それは「教育・学習に対する近年の法的な規制に関する声明」というタイトルで、アメリカ大学協会とPEN Americaという表現の自由の追求を100年以上行っている団体との共同で出された声明で、本文はこちらから読めます(英語です)。


内容を要約すると次の通りです。
2021年1月以降に米国では、大学の教育を規制するために、28州で70もの法案が提出され、このうち7州ではすでに法律になってしまいました(米国は州の自治権が強く、教育に関する事柄のほとんどは州が決めます。州法は日本の法律と同等と思って間違いないと思います)。規制の対象となっているのは、人種やジェンダーに関する事柄で、それらは「人々の間に分断や不快感をもたらすから」という理由で、教えてはいけない(または非常に限定的な方法でしか教えてはいけない)とされてしまっています。
声明には具体的な事柄は書かれていませんが、例えば同性カップルの結婚する権利について、「同性婚を認めるかどうかは人々の間で意見が分かれているから」または「同性婚に反対する人にとっては不愉快だから」教えてはいけない、ということだろうと推測されます。別の言い方をすると、大学では「世間の常識だけを教えなさい」ということになってしまいます。当然ながら、それでは大学での学びの意味がありません。
ブレインストーミング・会議のイラスト声明では「このような法的規制は、言論の自由と学問の自由を侵害し、米国の歴史や社会、文化に関する疑問を投げかけるために必須の議論を制約してしまう」と、これらの法規制に反対をしています。その上で、米国の大学評価制度や大学自治の歴史と役割を振り返り、これらの法規制が学生にもたらす学問的デメリット、経済的デメリットを述べていきます。
そもそも学問とは、既存の知識を疑い、新しい知見等を議論を通じて生み出していくものであり、そういうふうにしてきたからこそ、学術や科学・技術の発展もあったわけです。そして大学の教育は、そういう議論の場に学生も参加できるようにすることで、学生たちの既有の世界観を問い直すことを支援し、学生の成長・発達に貢献してきました。
2021年以降の各州での法的規制の動きは、大学教員の研究の進展のみならず、学生の学び・発達する権利を脅かすものとして懸念されます。
米国の話ではありますが、日本で暮らす私たちも、動向を注目していきたいです。
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西垣順子<大阪公立大学 高等教育研究開発センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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