総務省接待問題の背景ー日本社会の「報道の自由」をめぐる状況

総務省の官僚や大臣・元大臣等に対して不適切な接待が行われていたのではないかということが、連日のように国会でも追及されています。本日は接待そのものではなく、その背景を考えたいと思います。
テレビ局などが放送を行うために利用する電波は有限で、誰でもが使えるものではありません。そのため、いくつかの業者に放送免許を与えて、電波の使用を許可します。日本では総務省が、放送免許を与えるかどうかの判断をします。放送免許がもらえるかどうかは、放送事業者にとっては死活問題です。事業者にとっては何としてでも、総務省に放送免許を認めてほしいわけです。
ですがこのように、政府が放送免許の許認可権を持っているのは先進国では日本くらいのものなのです。こちらに詳しい記事がありました。


歴史的には、GHQ占領下において放送免許の許認可は、電波監理委員会という政府から独立した組織が行いました(終戦までは完全に国家が統制)。しかし1952年にサンフランシスコ講和条約が成立して、日本の施政権が復活すると、当時の吉田首相はイの一番に電波監理委員会を廃止して、許認可権限を政府が独占するようにしてしまいました。
放送免許の許認可権を政府が握ることによって生じる問題は、官僚や政治家への接待にとどまらず、報道の自由が侵害されやすいという状況を招きます。実際、高市早苗氏が総務大臣をしていた時に、放送局の電波を停止することができるという発言をして、問題になったことがありました。政府の方針に批判的な報道を抑圧する効果のある発言と言えるでしょう。
なお菅首相は、政府から独立した機関が放送免許の許認可を与えることは、責任の所在があいまいになるから望ましくないという意見を表明しています。しかし政府から独立した組織が業務を行っていることは、独占禁止法による公正取引委員会など多々あります。
アンテナを張る人のイラスト(女性)他方、日本社会ではこの状況が当たり前になっており、「先進国ではまれにみる状況」であることを自覚する機会は少ないと思います。大学の授業にエセックス大学のフェローで人権問題に詳しい藤田早苗さんに来ていただくことがあるのですが、彼女がよく示す図があります。
直線を左右に一本引いて、左に政府、右に市民と書きます。その上で「公正不偏な報道を行うべきメディアはどこに位置するか?」と問いかけます。欧米の学生はほとんどが、右端だと答えるらしいのですが、日本の学生は多くが中央だと答えます。「中立であるべき」ということで中央だと答えるのですが、本当にそれで良いでしょうか。
メディアの役割は「権力の番犬」であることです。政府が市民の人権を脅かすようなことをすれば、きちんと吠えないといけません。それなのに「中央」にいて、「市民の人権が脅かされるかもしれないが、政府も正しいかもしれない」という報道で良いのでしょうか? またそもそも政府は、大きな権力も財力も持っているので、自らが情報を流して広報することもできるのです。それに対して、人権を脅かされる人々(少数派であったり立場の弱い人であることが少なくない)はそのような手段を持ちません。だからこそメディアは、「政府と市民の中間」ではなく「市民の側」にいなければなりません。にもかかわらず、放送許認可権が政府が握っていて良いのかという問題があります。
さて、国境なき記者団が公開している報道の自由度ランキングで、日本はずいぶんと低迷していて、問題のある状況と認定されています。


国連の人権委員会も問題視していて、日本に対して改善勧告をしています。国連の人権委員会はクリティカルフレンド(友人だからこそ言いにくいことも言う)という態度で臨んでいるのですが、日本政府は取り合っていない状況です。
詳しくは、藤田早苗先生がラジオで話しています。こちらから聞くことができます。

なお、国際機関からこのような指摘を受けると、内政干渉だという意見が出されることがあるのですが、人権問題に国境はありません。確かに第2次大戦前は、人権問題は国内問題とされていました。その結果として起こった最大の悲劇が、ホロコースト(ユダヤ人に対する大虐殺)でした。この教訓から、人権問題には国境がないということになったのです。ですから日本の報道や表現の自由の問題や、ジェンダーギャップの問題は、日本の国内問題ではなく世界の問題です。同様に、ミャンマーで起きている問題も、香港やウイグルで起きている問題も、BlackLivesMatter運動も、日本も含めた世界全体の問題ということになります。

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西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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