今日、気になったのがこのつぶやき。(画像部分をクリックすると引用画像全体が見られるようになります)
文藝春秋11月号。大学入試の国語に記述式が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書などで、高校の国語は高2高3は「文学国語」か「論理国語」のどちらかしか選択できなくなる、入試を考えてほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろうと。高校から文学作品が消えようとしてる。亡国まっしぐら。 pic.twitter.com/jrSA04HtGj
— ミスターK (@arapanman) October 27, 2018
国語の授業である作家の作品に出会い、「全部読んでみたい」「他の作品も読んでみたい」となることは、ある意味人生を豊かにすることだと思う。今読書週間で先日も新聞に2人に1人は1か月に1冊も本を読まない旨書かれていたが、だからこそ文学に触れる機会は確保されるべきでは?特に思春期には。
— ミスターK (@arapanman) October 28, 2018
『文藝春秋』11月号に,高2,高3では,実質的に「文学国語」と「論理国語」のどちらかしか選択できない,と書いてあって,話題を呼んでいるようですが,正確には,「論理国語」「文学国語」の二者択一ではなく,それに加えて,「国語表現」「古典探究」の4つが選択肢になっているはずです. https://t.co/5gRzNMb92A
— 研究社 (@Kenkyusha_PR) October 29, 2018
研究者が紹介していた河合塾の分析。
研究社さんはTwitterを使っています: 「『文藝春秋』11月号に,高2,高3では,実質的に「文学国語」と「論理国語」のどちらかしか選択できない,と書いてあって,…」四者択一なら問題点はより根深い https://t.co/293hyWx3Mo
— ジュンタロコロコロ (@Ymjn1969) October 29, 2018
余談ですが、私の母校では日本文学科(現在の名称は日本文学専攻)は残ってますが、英米文学科はなくなってしまいました。反対の声が少なくなかった為、国際英語選考という形で英語学は残したものの英文学はなしに。文学を学ぶことがどんどん軽視されていくようです。
教科書と言えば、こんなtweetも話題になりました。
これが今の小学校低学年の道徳の教科書ですか?
信じられません。 pic.twitter.com/Voqafqzl5x
— やまし@自己責任論は不要 (@yamashiro0645) October 8, 2018
このtweetに、「こうやって社畜を量産しようとするのか」「答えは、だって奴隷だから?」などの反応が。以前、地図帳の表記について取り上げたことがありましたが、今の子供たちがどんなことを学んでいるか、今後どんな教育を受けるのか、これまであまりに無関心だったと反省しています。(モモ母)