社会福祉士の専門職後見人の仕事をしていると、時々、他の福祉の専門職との連携について話をすることがあります。
福祉的な支援は、高齢者の場合では介護保険サービスの利用による介護支援がありますが、その場合、ケアマネジャーによる連携や調整がなされ、ご本人の希望要望に沿ったケアプランが作成され、チームで支援が行われます。具体的には、ヘルパー、デイサービスやデイケア、ショートステイ、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴、福祉用具に加えて、訪問診療や在宅薬剤師などなどなど…。福祉だけでなく、医療の専門職も入ると、とても大きなチームになることもあります。
ここに成年後見人等が入ると、より一層大所帯になるわけですが、後見人等が入ることで、ご本人の財産を守るとともに、支払いや契約などを行い、生活が経済的にスムーズに運ぶように支援できますし、詐欺等から財産を守ることにつながる場合もあります。つまり、ご本人の生活を、福祉と医療という面に加えて、経済と法的に守ることができる手段が入るということです。
ご本人さんにとっても、より強力にガードでき、より便利に老後の生活の楽しみや安心を獲得することができるのなら、それに越したことはないでしょう。成年後見制度は、ご本人の生活のいくらかの側面からサポートしますが、その一つは「財産管理」として生活全般にかかわる土台となる部分がなんとかなるようにサポートします。
ところで、私が成年後見人として働いているときに「むむむ・・・」と思い、もやもやが6年ほど続いていることがあります。それは、「先生」と呼ばれることです。例えば、ケアマネジャーさんの中にも、施設の相談員や病院の地域連携室の中にも、社会福祉士の資格を持った人がいます。そんな人たちから、「先生」と呼ばれることに、違和感が消えません。また、社会福祉士の資格をもっていなくても、そもそも、専門職としてご本人の生活に関わっている皆さんは、何らかの資格等を持ち、プロとして支援をおこなっていらっしゃるのですが、なぜか後見人等の私は「先生」と呼ばれ、他の人同士は「さん」付けで呼び合っているのです。それが影響して、ご本人からも「先生」と呼ばれることもあります。
チーム支援を行い、ご本人の意思をみんなで尊重し、ご本人にとって何がベストなのか、そのために支援は何をすべきなのかを考えるとき、成年後見人だから「先生」と呼ばれることにふさわしいかというと、私はそうは思いません。支援者みんなが何らかの専門家であるのだから、みんな同じ位置で、それぞれの専門性を発揮すべきだとおもうのです。逆に、誰かの声が大きくなりすぎるのなら、それは、ご本人の声をかき消してしまうことになりかねません。
もちろん、医師や弁護士など、従来から「先生」という敬称をつけて呼ぶことが広くなされている場合があり、病院で治療をうけることや、裁判所へ行く必要があるときなどは「教えてもらう」という意味を込めて「先生」で良いと思うのです。
しかし、福祉的支援ニーズがある方の生活支援を行う場では、中心はご本人。周りでご本人の暮らしを支える支援者は、誰が「先生」というわけでもなく、対等がいいのになぁ・・・というのが、私の6年ぐらい続く思いです。
「先生」と呼ばれるたびに、「先生じゃないし、あなたと同じ福祉職だから、さん付けでいきましょう」と毎回答えるのが、ときどき面倒だなぁと思うこともあるのですが、でも、やはり私も専門職として支援をしたいので、対等に専門職として話ができる支援チームがいいなぁと思います。
以上、とりとめない独り言でした。
秋の夜長の独り言。温かい支援をしたいものです。
皆様も、温かくしてお過ごしくださいね。