あの子らのために、脚本を書く

イラスト:すずえゆみこ

私は今、脚本を書いている。〆切を過ぎた。追い詰められ、いや「詰んでいる」状況なのだが、困ったことに、劇団の人はやさしい。おかげで私はゆっくりと苦しめられている。
書いているのは、福井県で起こった「明日のハナコ」という表現抑圧の事件についての、私なりの体験、その思索だ。
退職直後の教員が書いた台本が、高校演劇祭のケーブルテレビ放映から一校だけ排除された。反原発の台本が、国内最多の原発立地県で消されるなんて、漫画か。できすぎた事件だ。皆が黙ってないぞ。深い考えもなく排除撤回の署名を集めた。劇作家協会は強い味方だぞ。こんなの一蹴してやる。…ところが、抗議声明すらだしてくれなかった。演出者協会も、全国高演協という同僚教員のあつまりも。放映はされずに終わった。我々の署名は無視された。手柄を認められたのだろう、排除主導者の校長は県内三位の進学校に栄転した。県の公務員たちも県内「有識者」たちも、情報公開の黒塗り文書で協力した。地元新聞社も県庁の言い分に従順だった。私は、善良なる大人の総意が、こんなに後退してたのか、と驚いた。
「失われた三〇年」はこれからも続くだろう。確信した。日本円は近く紙くずになる。「明日のハナコ」は全体状況の縮図なのだ。世間の凡人が、大過なく自分と家族の平和を優先して過ごす群れになってしまった自然の結果だ。これからの未来図でもある。他人の権利に冷淡な羊たちは、自分の権利にも鈍感で、そういう選択は、自らの賃金を抑え込む。結果、自分たちの経済をも失うことに気づいていない。幸福の感覚も失われるだろう。すでに、カナリアの悲鳴は統計に現れている。小中高校生の不登校は過去最多。小中学生の自殺数は過去最多。自殺率は三七年前のピーク時の約二倍。教員の精神疾患による休職、退職は過去最多。子供のいまは大人の未来だ。支えるはずの教員たちは「明日のハナコ」では卑劣なる敵そのものだった。

私は、この国から逃げたいと思い詰める劇作家の行動を劇にした。書くのはいつもに増して苦しい。排除されたあの子らを直視して書く。泣いたあの子ら。負けた私たち。踏みにじった大人たち。…だけど、負けるな。私は心の宝を、必死にかきあつめた。
私は大学2年生の冬に、舞台に立った。初めての二人芝居。その緊張の記憶は今でも特別だ。もう死んでもいいと思った。暗くなった舞台に歩いてって、キンソンという音楽が大きくなって静かになって、舞台に照明が入ってこっちに向かってぎらーっと明かりがまぶしくて目つぶしになってぎっしり客がこっち向いて、第一のセリフを言う……そのあとの記憶がない。気を失ったみたいになって、次の記憶は、カーテンコール。終わってた。拍手がたくさんきてた。ああ。ちゃんとやったんだ。客が気の毒そうにうつむいている、ってことになってない。なんとか、芝居は見られる程度に終わったのだ。わあ。終わったんだ……いや誇張じゃなく、初舞台ってそんなもんだろう。思春期の初舞台は誰にも特別なものだ。そのあと学生劇団で何回も舞台に出たけど、あの初舞台のあのなんちゅうか浮いて沈んだ興奮して解放されて緊張してむちゃくちゃになったのは、あれ一回だ。そしてその一回は、輝かしく私の人生を通して支えてくれた。自分がかわる時間。自分が自分をかえた成功。不可能だったことが可能に変わる時間。自分のすべてが客の視線の中で受け入れられる幸福は奇跡でなく、すぐそこにある、ということ。
演劇のあの体験は、尊厳を体感する体験だった。誰にも奪えない心の宝だ。そんな時間をこれからも若者がもてる未来をつくりたい。人類、社会が幸福でいられる条件はそれだと信じる。私は、あきらめないで書くだろう。

上演は二〇二五年一月、東京で、と決まったらしい。タイトルは「ニッポン人は亡命する。ーーけっして福井県高校演劇祭での「明日のハナコ」事件に取材しているわけではない喜劇」。(劇作家 公認心理士 鈴江俊郎)


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