「日本国憲法」シリーズ第4弾は第三章 国民の権利及び義務から第25条です。25条は最低限度の人間らしい生活が出来る権利「生存権」について書かれています。自民党の改憲草案では「すべての生活部面について」を「国民生活のあらゆる側面において」に変更しています。どうして微妙に表現を変える必要があるのでしょうか。「国民」という言葉が入ることで外国籍者を排除する意味を持たせているのではないかと考える人もあります。また在外国民の保護(3項)や犯罪被害者等への配慮(4項)が加えられます。現在の25条の条文を変える必要はあるか、確認しておきましょう。朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、解説は関西勤労者教育協会副会長・中田進さん、動画の再生時間は44秒です。引き続き第13条はこちら、第9条はこちら、前文はこちらからお聞き下さい。
憲法にはやさしい顔と怖い顔があります。国民には「幸せに自分らしく生きてね」という優しく励ます力があります。国家権力には「憲法を尊重擁護しなさい」と厳しく迫ります。
憲法25条の1項はやさしく「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあり、2項は国にたいしては「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と厳しく迫ります。前回の13条も最後に「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」立法・国政にむかって「最大の尊重をしなさい」と命じています。
私たちは資本主義社会に生きています。しかもいま「新自由主義」という一握りの「財界」が規制を緩和し自由に利益を追求し、非正規雇用を増やし社会保障の予算を削り、「格差と貧困」がすすみ、生きる権利が脅かされています。「自由」の保障だけでは生きていけません。そこで、憲法は人間らしく生きる権利・生存権(25条)を保障しています。このほか教育を受ける権利(26条)、働く権利(27条)、労働者が労働組合を組織し団体交渉し、ストライキなどの団体行動をする権利(28条)などを含めて「社会権」といいいます。この社会権の根幹をなすものが25条です。国家が社会的弱者を積極的に救済すべきだという理念をもとに憲法制定の過程でつくられました。ところがマッカーサーの草案は2項だけでした。衆議院の審議で日本社会党の森戸辰男の提案で1項が追加されました。
「健康で文化的な最低限度の生活」とは、なんでしょう。健康とは身体が元気であるだけでなく心も爽やかで、人間関係も良好であることです。人類は「文化」という素敵なもの生み出し発展させてきました。みなさんは「文化」的な日々を送っていますか。音楽・映画・演劇・美術・文学・スポーツ数多くの文化を創造し・鑑賞し、趣味豊かな暮らしをしていると、生きることが楽しくなりますね。「文化」は贅沢品でなく、「人間らしく」生きる必要不可欠なものなんです。そこで生存権保障の制度を2項で国に迫っています。
生存権は法律で制度が定められ予算がつけられはじめて実現します。医療・介護・年金・老人福祉・生活保護・障害者福祉・感染症対策・災害保障・公害規制・食品衛生などがあります。もっとも基本的な公的扶助制度は生活保護です。
失業、非正規で低賃金、年金では暮らせない、一人親で生活難、給食だけで生きている子ども、病気、老老介護、など貧困に直面したら生活保護を申請して保護費を受給できる権利があります。「最低生活費」を下回る場合、生活扶助、住宅扶助、教育扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助、一時的扶助も受給できます。
いまこの生活保護の権利がバッシングされ、窓口で屈辱的な扱いを受けたり、打ちきられたりし、餓死者や孤独死が。社会保障制度は改悪され予算は削減。国民健康保険料・介護保険料は上がり、利用料も上がり、物価高騰のいま年金は切り下げ、高齢者の窓口負担が10月から倍に。社会保障のためという消費税ですが、この30年社会保障が改善されましたか。どこにいったのでしょう。大企業の法人税減税がすすみその穴埋めに使われたのではといわれています。社会保障の「向上及び増進」という憲法の目的を実現するためには、国民の運動により政府の社会保障政策を拡充させる以外にありません。政治に関心をもち選挙権を行使し社会保障制度の改善、予算の拡充すすめる議員を増やしましょう。
※次回は6月27日(月)に第27条 第28条を公開予定です。