畑の土には、発酵有機肥料を十分にかつ多くなり過ぎない様に施し、雑草に油断は禁物だが邪魔にならない様なら生やしておく。そうしておけば小さな畑にも綺麗な小生物ピラミッドが出来る。そうなれば農薬の出番は無くなる。でも小さくて綺麗な生物ピラミッドは、シャボン玉の様に繊細だ。「濡れ手に泡」と言えば語弊があるが、有機農業の技術と言うのは、シャボン玉を壊さない為に手を濡らす様なもの。自然を慮る心がごつごつした百姓の掌に綺麗な生物ピラミッドを乗せる事を可能にする。有機農業を「阿呆な事」と父に叱られた事に対しては、「何とか出来たで。お父さん」と言えるかもしれない。「でも、しんどいもんやな」とこぼれる。小さく綺麗な生物ピラミッドを掌に載せるには、太陽が地球にもたらすエネルギーの範囲内での生産という条件が付くが、現代社会の有り様とは乖離している。この乖離を修正できるだろうか。次世代に伝えたいと思うが、畑で働く息子に面と向かってこんな話をしたことは無い。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。