前回のインタビューの続きです。
彩
今回の柚子唐辛子プロジェクトの話を聞いた時どう思いましたか?
瑞穂
今まで食品加工班でクッキーなどを作っていて、私の感覚ですが、「作った→売れた→よかった!」みたいな感じで毎日毎日作っていたのが、最近は売るために作る、そこを意識してやっていけるようになってきている。利用者さんにはそれがわかりにくい人もいて、なんとなく毎日作っていた人もいる。営業活動に行ける人は売れるところも見ているけど、行けない人は、作って、作って、作って…。それが売れようが残っていようがあまりわからない。それはあまりよくないなと思っていて、今は出来るだけ、これだけ売れたよとか、これが売れたらどうなるとか、一緒に確認するようにはしている。それでもやっぱり限られた販路というか…決まったところだけという中で、今回の柚子唐辛子の話を聞いたときに、すごく広いというか、いろんな人が買う商品でいろんな人に知ってもらえる、みんなが知ってるお店の名前だったり、かなり大きなお話だなと思って自分はびっくりして…。それを作れる、それを売るんだ、ということは利用者の方にもしっかりと伝えていかなければならないなと思いました。
まだ種とりの段階だから、9月10月、柚子が取れて、もう少しこれがこんな風になっていくんだよーと見えるようになってきたら、しっかり伝えなあかんなとすごく、どう利用者さんに伝えたら伝わるのかなということを頭の中で考えています。先日の打ち合わせでcenciに行った時にも、「つながり」というのをおっしゃっていて、オモヤさんで作った唐辛子を、瑞穂で加工して、cenciさんで売る。それだけでも凄いつながりを感じたところに、ゆずを収穫させてもらうことや、与論島のお塩を作っている秀和園さんのメールを読んだりして、これだけの人が関わって一つの商品を作るんだな、とプレッシャーも感じて…。
ウチだけで作っている商品なら失敗しても、また、材料を買えばいいことだけどそういうわけにはいかない。オモヤさんががんばって育てた唐辛子…。それだけ皆さんの思いが詰まった商品なんだということを改めて感じている。さっきから、利用者さん利用者さんて言っているけれども、私自身が、自分として、いま、自分のやっている仕事が一気にぱっと広がったというか…、毎日瑞穂に来ていて職員として仕事をする中で、「いろんな作業をしながら社会と繋がって…、」と頭では思っていても、だんだん閉じて行っていた部分が自分の中でもあって、今回のこの話があって、京都にも行かせてもらって、cenciのお店に行って、みなさんの顔見て、すごくワクワクした。皆さんプロで一流の方たちと接する中で、自分もその役割をしっかり果たさなきゃいけないな。っていうので緊張もしていますが…。
彩
出来上がれば小さな小瓶だけれども、そんなたくさんの人の思いが入っている。
瑞穂
これだけ参加する人が多いモノはどんどん少なくなっている。簡単に作ることの方が求められるし、需要も多い。そんな時に何でこういう方法でやるのか、っていう、cenciのシェフの思いとか、そこに乗っからせてもらっている部分もある。
障害者云々じゃなくて、彩社会福祉士事務所がハブになって、たまたま有名レストランを知っていて、たまたま障害者施設で、農業をしているところを知っていて、食品加工しているところを知っていて、与論島に行ったらたまたまそこで手の込んだ製法でお塩を作っていて、その”たまたま”が全て、つなげられるような柚子唐辛子というアイテムが器になっている。そういうストーリーを描きに行くためにやっているわけじゃなくて、こうなったというのは坂本シェフがやろうとしていることに通じるものがあるのかな。