世界貿易機関(WTO)は2月15日、臨時の一般理事会を開き、全会一致でヌゴジ・オコンジョイウェアラ氏を第7代事務局長に選出しました。女性としても、アフリカ出身者という点でも初のWTOトップとのことで、我が国のメディアでも注目されています。
前任者が任期を1年残し、昨年8月に辞任したため、約半年間トップ不在の状態が続いていましたが、WTOもこれでようやく正常に機能できるということでしょうか?
まず、たしかに女性やアフリカ出身者としては初の事務局長ですが、それを強調することには違和感をおぼえます。第一、国際的にみれば、トップに女性が就くことは当たり前になっています。やはりその抜群の能力が高く評価されたのでしょう。
オコンジョイウェアラ氏の略歴を紹介しますと、1954年にナイジェリアで生まれ(現在66歳)、米マサチューセッツ工科大学大学院で博士号を取得。世界銀行に25年勤務し、ナンバー2の専務理事も務めています。ナイジェリアの財務大臣時代には債務帳消しに成功し、タフな交渉人として名をとどろかせたといいます。最近では予防接種の国際団体の理事長に就き、途上国における新型コロナウイルスワクチンの普及に奔走しています(『日経新聞』2021年2月14日)。
しかし出身国に関しては、WTOに限らず、国連の専門機関や関連機関の人事でいつも大きな問題になると聞きますがいかがでしょう?
それは認めざるを得ません。たとえば国連の専門機関は15ありますが、そのうち4つは中国、2つはアフリカの出身者がトップを務めています。アメリカのトランプ前政権はこの点を非常に問題にしていました。アフリカ諸国は中国の大きな影響下にあるため、その出身者は中国の傀儡だと批判していました。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長はエチオピア出身ですが、トランプ前大統領は彼が中国の言いなりになっていると難じ、WHOからの脱退を表明したことは記憶に新しいでしょう。
WTOの事務局長人事が難航し、この半年間ずっと空位が続いていたのも、トランプ氏がナイジェリア出身のオコンジョイウェアラ氏の就任に難色を示していたためです。バイデン新大統領が同意したことから今回の決定に至ったわけです。
国際機関は公平・中立であるべきなのに、トップの国籍によって物事の決定が左右されるというのはおかしくありませんか?
そのとおりですね。しかし現実には、その公平性が立場によって変わってしまうのです。WTOに即して説明しますと、この機関はGATTを受け継ぎ、世界の自由貿易体制を築くことを目的として1995年に創設されました。「自由貿易の番人」とも呼ばれる国際機関です。役割は大別して2つあります。第1は、世界共通の貿易ルールをつくる「立法」です。第2は、国家間で貿易紛争が生じた場合、それを解決する「司法」です。実はこの両面でWTOは行き詰まっています。
まず「立法」面についていえば、貿易の自由化を目指す先進国と、その見返りに優遇を求める途上国とのあいだで折り合いがつかず、もう20年も膠着状態が続いています。2001年にWTOに加盟した中国は、「途上国」として優遇措置を授けられており、貿易規模を一気に拡大しました。アメリカのトランプ前政権はこれに反発し、中国からの輸入品に厳しい関税を課し、中国も対抗措置をとったことはご承知のとおりです。「途上国」として振る舞う中国の協力が得られないため、WTOはデータ流通や国家による輸出補助金の透明化などに関してのルールも定めることができずにいます。
第2の「司法」面については、アメリカとEUが対立しています。両者のあいだにも深刻な貿易摩擦問題があるのですが、それを裁定するWTOの上級委員会(最高裁に相当する組織)に対してアメリカは不信感を抱き、その人事に難色を示したことなどから、現在、上級委員会のメンバーが全員離脱してしまい、まったく機能していません。上級委員会で店ざらしになっている案件はアメリカ・EU間の問題のみならず、いくつもあります。
WTOの機能不全はトランプ政権時代に顕著になりましたが、それは人事に関するアメリカ側の不信感によるところが大きいといえます。つまり中国や欧州の利益に荷担する国出身のメンバーが揃っているという不信感です。
バイデン政権の成立とオコンジョイウェアラ氏の事務局長就任により、WTOは機能不全から立ち直ることができるでしょうか?
新事務局長はもともと既得権益にも果敢に切り込むリーダーシップが高く評価されてきた人物ですし、途上国の出身でありながら米国留学の経験もある知米派ですから、バランスの点でもこれ以上ない適任です。バイデン政権もこの人選については「強く支持する」との声明を発表しました。これから上級委員会の人選もなされることと思いますが、164の全加盟国・地域がこの人選に従い、WTOの決定を尊重順守することが不可欠です。この機関をないがしろにする態度をとれば、いかにすぐれた事務局長でもお手上げです。
バイデン政権のもとでも米中間の「貿易紛争」が解消されるわけではありませんが、両国を重要な貿易パートナーとする日本は、WTO内で米中の対話を促すような役割を果たすことが期待されます。日本は韓国と輸出規制の問題をめぐってWTOで対立していますが、その背景には元徴用工問題などが絡んだ政治対立があります。しかしWTOをこうした政争の具にしない自制心も必要です。
新型コロナウイルス禍によって世界の貿易秩序は崩れ、各国が保護主義への傾斜を強めつつある現在、「一国主義」を乗り越え、自由貿易体制を堅持する覚悟が国際社会に求められています。WTOはその最後の砦です。オコンジョイウェアラ新事務局長のもと、国際的な観点に立ち、WTOを支える英知を各国の指導者が示してくれることを切望します。
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