国際政治の専門家がしばしば「地政学」という言葉を使っていますが、これはどのようなものなのでしょう?
最近、この語をよく見かけますね。昨年出された本のなかにも表題に「地政学」を用いたものが本当にたくさんあります。竹田いさみ『海の地政学』(中公新書)、小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)、北岡伸一『世界地図を読み直す:協力と均衡の地政学』(新潮選書)、インフォビジュアル研究所『図解でわかる 14歳からの地政学』(太田出版)、荒巻豊志(監修)『眠れなくなるほど面白い 図解 地政学の話』(日本文芸社)、内藤博文『地政学で読み解く日本と中国・韓国・ロシアの勢力史』(KAWADE夢文庫)、西谷公明『ユーラシア・ダイナミズム:大陸の胎動を読み解く地政学』(ミネルヴァ書房)等々、翻訳書を含め「地政学」と銘打った本が続々と出版されています。しかしわたしが学生だった30年以上前には、「地政学」という言葉さえ口にするのもためらわれたものです。
それはなぜですか?
これは20世紀初頭に創始された学問分野で、地理学と政治学を融合させたものです。英語では「geopolitics(ジオポリティックス)」と言いますが、むしろドイツ語で「geopolitik(ゲオポリティーク)」と呼んだほうが感じが出るかもしれません。というのは、その創始者の一人であるドイツ人の軍事史家カール・ハウスホーファーの思想にアドルフ・ヒトラーがたいそう共鳴し、これをナチス・ドイツによる世界侵略政策の正当化に用いたためです。ですから地政学はナチスの御用学問として、戦後長らくタブー視されていましたし、まっとうな学者はこれをエセ学問と見なし、相手にもしませんでした。それが今ではこんなにもてはやされているのですから隔世の感があります。
それは具体的にどのような説を唱えているのですか?
一種の宿命論です。たとえば朝鮮半島は地理的に、ユーラシア大陸と太平洋を結びつける「橋頭堡」である。ここを支配する者は大陸と海洋を「勢力圏」に収めることができる。だから歴史的にロシア、中国、日本がこの半島を支配すべく争ってきた。大日本帝国の敗退後は、その支配領域に「力の真空」が生じたため、それを埋めるべくアメリカが進出せねばならなかった。ロシアは不凍港を求め一貫して「南下政策」をとってきた。今日のクリミア併合もその一環である。クリミアを支配すれば黒海をコントロールできる。黒海を自由に使えれば中東へのアクセスが容易になる。現在のアメリカと中国の対立は、「海洋国家」と「大陸国家」の「生存圏」をめぐる角逐である。ドイツという大国とロシアという大国に挟まれたポーランドは「緩衝地帯」として、大国同士の正面衝突を緩和させる役割を担わざるを得ない。欧州とロシアの間にあるウクライナも同様の「緩衝地帯」としての役目を負っている……といった具合です。
たしかに世界政治を図式的に読み解くことができ、わかりやすい説ですね。
はい。為政者としても国民の理解を得やすい教義なのです。戦時中、日本の政治指導者は「満蒙は我が国の生命線」であると唱え、旧満洲や内モンゴルの侵略を正当化しました。これも地政学の援用ですね。領土問題も地政学で説明されます。たとえば尖閣諸島や北方領土にしても、島そのものだけでなく、領海やそこの海洋資源を保守せねばならないと説かれるのです。これは俗耳に入りやすく、もっともらしい説明に思われますが、その実、真実とはかけ離れているのです。
どういうことでしょうか?
「満蒙」を失えば、国民は飢えてしまうと言われましたが、日本は帝国の時代よりずっと小さな国になっても、国民は飢えるどころか、はるかに豊かな生活が送れるようになりました。また、尖閣諸島周辺の海底資源を中国に奪われたら大変なことになると言われますが、日本は原油など独自に天然資源を抱え込まなくても先進国になれました。むしろ天然資源をふんだんに有する国の方が途上国だったりするのです。つまり経済的には、資源は持つより買う方が効率がいいのです。
なるほど。地政学の唱えるところはけっこう眉唾だということでしょうか?
うかつに信じない方がいいですね。それに地政学の本質は、国家利益の限りない増大をよしとするところにあります。かつての日本は「国体の護持」ということを言いましたが、これは国家を有機体と考え、その成長を善と見なすものでした。「国体」のために国民の命が捧げられたのです。さすがに今は「国体」などと言う人はめったにいませんが、その代わりに政治家は「国益」を盛んに強調します。しかしその中身をみると、しばしば「国家そのものの利益」であって、そのために国民の利益が犠牲になっている局面が少なくないのです。
地政学とは国家を生き物のごとく扱い、国家同士がその生存をかけて相争うことが国際政治の現実だと思わせる論理です。まるで国家が意志をもって振る舞っているかのような発想に立っているわけです。しかしそれでは人間の尊厳や存続は危機にさらされてしまいます。抽象的な物言いになりますが、わたしは「地政学」的な思考を越えて、人間中心の国際政治学を構築しなくてはならないと考えています。