『信頼関係を築くためには、どうすればいいだろうか?』
最近、よくそんなことを考えます。どうすれば、信頼確保につながると言えるのでしょうか。ソーシャルワーカーにとって、信頼関係の構築はとても大切な支援関係の構築の第一歩。でも、そもそも・・・信頼って何?
信頼と似た言葉に「信用」があります。
デジタル大辞泉によると、信用の解説としては3つ挙げられていますが、2番目に「それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。」と書かれています。
どうやら、辞書によると信用は、過去の行いによって積み重ねられたことを元に、判断することのようで、そういわれてみるとお金を借りるときには「信用」という言葉を使うような気がする…と思います。
一方、信頼はデジタル大辞泉によると、「信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。」だそうです。
頼りにする、信じる、その気持ち。
どちらかというと未来へ向かって、今の気持ちにフォーカスを当てた言葉のように感じます。
大雑把に言うと、信用は、堅い、きっちりした、根拠によって判断して、これまでの評価の上に成り立つ、ビジネスとして対応している感じ。
信頼は、感覚的に、きっと大丈夫、そう信じている、という、フィーリング的な感じ。
「信頼」「信用」「信頼と信用の違い」などでWebの検索をすると、いろんなWebサイトがあります。概ね記載されていることは、上記の国語辞典の解釈のようなもので、信頼と信用は区別されていますが、国語の単語の解釈以上の解説は微妙に異なり、いろんな意見があるように思います。
想像してみると、私自身が何か生活上で困ったことがあるときに、「福祉の専門職です、相談に乗ります!」と言われたとしたら…。
おそらく、私自身が困った自覚も状況もないときに、突然そう言われると、私は相手のことを受け入れることは無いでしょう。突然に「あなたには課題があります」と突き付けられるのは、不愉快以外のなにものでもありません。
もし相談し始めたとして、話し終わらない間に、勝手に解釈を進められて色々と助言のようなことを言われたら、その時点で心を閉ざしてそれ以上は話さずに、愛想笑いをしてその場を収めるでしょう。
仮に、最後まで話切ったとしても、予想していた悪いほうの助言しかなさそうであれば、2度目の相談をすることは無いと思って、その場を去ると思います。
私は、ややこしい来談者でしょうか?
しかし、信用できず、信頼関係も構築できないと感じたら、それ以上はどうしようもありません。
そんなことを考えていると、状況や些細な言動からでも、私の戸惑いに注意を払ってくれ、場合によっては整理がついていない私の話に耳を傾けてくれ、画期的な助言でなくても、私が抱えているものと私が望む解決に向かって色々考えようとしてくれるのであれば、私は居心地よく感じ、その話を聞き考える態度から信用し、課題解決へ向けて信頼して相談ができるようになるのかもしれません。
『私の言葉を聞いてもらう、相手の言葉を聞く』ということは、単なる会話や情報のやり取りだけでなく、言葉にならない隙間も含めて、時間を共有することになります。その共有の時間が、心地が良かったり、自分の為になると感じたり、うれしかったりすると、それは積み重なり「信用」になっていくように思います。言葉のやり取りで、目指す方向が徐々に見えてきます。同じ方向を目指すのであれば、未来へ向けての信頼も持てそうです。
しかし、人間同士のなかの、信用や信頼というものは、そう簡単にはスッキリと理解できないのかもしれません。そうスッキリと、判断できないものだと思います。
聞いて、尋ねて、考えて・・・未来を良いものに出来るように考える。
そういうことの、継続の先に、信じあえる関係があるのかもしれません。