カナリア朗読劇場~日本国憲法第97条

5回シリーズでお届けしている憲法朗読第3弾の最終回は、第十章 最高法規から基本的人権の由来特質を謳った第97条です。朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、解説は立命館大学法科大学院教授の倉田玲さん、動画の再生時間は38秒です。引き続き第13条・第81条はこちらから、第14条第1項はこちらから、第43条・第15条第2項はこちらから、第66条はこちらからお聞きください。

《第97条解説

 日本国憲法の第97条は、第10章「最高法規」の最初にありますが、第97条の直後の第98条第1項にも「最高法規」という四字熟語が含まれています。第97条と第98条第1項は、どちらも「この憲法」と書き出されています。「この憲法」を接点にして2つの規定をつなげると、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権」があってこそ、「この憲法は、国の最高法規」だと定められているように読むことができます。そして、このように読むと、日本国憲法は「基本的人権」のための「最高法規」なのだと理解することができるでしょう。第10章の最後の第99条にも「この憲法」と書かれていますが、第99条に「日本国民」ではなく「公務員」が「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定められていることも、日本国憲法が「基本的人権」のための「最高法規」だからなのだと理解することができるでしょう。たとえば「基本的人権」の行使を制限する「法律」が「最高法規」に違反するようなら、第98条第1項に定められているとおり、「その効力を有しない」ということになりますが、ならば「法律」を制定する「国会議員」たちも、よもや「基本的人権」をないがしろにしてしまうような「法律」を制定することのないように、日本国憲法の「尊重」や「擁護」を「義務」づけられていて当然でしょう。「基本的人権」のための「最高法規」は、だからこそ権力に対する重しになっているという仕組みが、第10章の基本構造だと説明することができます。

第97条には「基本的人権」が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だと記されていますが、この「人類」は、前文の「人類普遍の原理」に含まれている「人類」と同じく、「日本国民」に限られないでしょう。日本国憲法の背景に、日本史ばかりでなく、世界史もあることは、第97条や前文に「人類」という言葉が使われていることからも明らかでしょう。まったく当たり前のことですが、「基本的人権」というコンセプトは、日本国憲法のオリジナルではありません。ならば、第97条に、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定められているのも、「日本国民」の特権のようなものではないと理解するのが素直でしょう。「現在及び将来の国民に」という定め方は、第11条と共通ですが、ほかの条文と同じように読むと、日本国憲法が制定された当時の「現在及び将来の国民に」ではなく、いまでも「現在及び将来の国民に」と理解することができるでしょう。つまり「現在」は「国民」ではなく、だからこそ「将来」は「国民」になるかもならないかもしれない人々も、このシリーズの序盤に登場してもらいました第13条の前段や第14条第1項の前段に定められているとおり、「法の下に平等」な「個人として尊重される」というところに、未来志向の日本国憲法は、「基本的人権」のための「最高法規」として、その本領を発揮しているのではないでしょうか。難解な専門書の解説などとは大いに異なり、かなりロマンティックな解釈でしょうが、必ずしも曲解ではありません。このシリーズの最後に登場してもらいました第97条は、ものすごく壮大な「人類」の歴史に想いを馳せさせてくれるのですから、しかめつらしい「法律」の無味乾燥な定め方などとは大いに異なり、大真面目な日本国憲法の味わい深くロマンティックな条文です。


Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 21

Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 30