かわらじ先生の国際講座~国家観の相克

昨年8月30日、ソ連最後の共産党書記長でありソ連最初の(といってもその後ソ連が崩壊しましたので第2代はいませんが)大統領となったミハイル・ゴルバチョフ氏が死去しました。彼が主導したペレストロイカの時代のソ連と、今日のロシアを比較すると、その懸隔の大きさに愕然とします。いまのロシアをみると、ペレストロイカ時代の民主化路線は失われ、内政的には冷戦最中のソ連以上に抑圧体制が敷かれ、対外的にも閉鎖国家になってしまいました。この国に再びペレストロイカのような現象が生じることはないのでしょうか?

ソ連史を通観すれば、独裁的なスターリン時代のあとに「平和共存」を推進したフルシチョフ政権が誕生し、抑圧的なブレジネフ時代のあと(短期的にアンドロポフ政権とチェルネンコ政権がはさまれますが)ゴルバチョフ政権が誕生するわけですから、事実上の大統領独裁体制を敷く長いプーチン時代のあとは、よりリベラルで開放的な政権が誕生しないともかぎりません。
ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任したころ、わたしは大学院生でしたが、ソ連の政治哲学者たちの言動にある種の「異変」を感じ取りました。それまでは「階級史観」に基づくマルクス・レーニン主義が金科玉条の教義とされてきたのに、ある時から「全人類的価値観は階級史観に優先する」というテーゼが打ち出され、この「全人類的価値観」という概念がソ連の学界で取り沙汰されるようになったのです。その後、この概念を基盤として「新思考外交」が展開され、ソ連は冷戦的な対立を乗り越えようとしたのです。
こうしたイデオロギー問題は、一見、抽象概念をこねくり回しているだけのように見えますが、実はすこぶる大切なことなのです。政策を大きく転回させる上で、その正当性の根拠となるわけですから。

それにしても「全人類的価値観」とは大きく構えたものですね。

この普遍主義が重要なのです。民主主義や基本的人権や平和主義といった価値観は、一国の枠内では成立しません。まさに「全人類」規模の価値観として位置づけ、国家をそれに従わせないと達成されません。民族の固有性や特殊性、あるいは排外的な孤立主義にとらわれた国家は例外なく民主主義や人権をないがしろにします。
人間は普遍的な権利をもっており、それを擁護するのが国家であるという認識に立てば、「国家は国民のためにある」という至極真っ当な言説が成り立ちます。しかし現実には、しばしば「国民は国家のためにある」という倒錯した事態が生じています。「国民のための国家か、国家のための国民か」という2つの認識の相克がしばしば生じるのです。前者は平時、後者は戦時に現れます。現在のロシアやウクライナは後者がまさっています。祖国を守るために(ウクライナはまだしも、ロシアまでそのような言い方をしています)国民は命を差出すことを求められているわけです。

国家が独自の意志を発動し、その生き残りのために国民を動員するわけですね。それが有事における国家のありようなのでしょう。ひとたび国家が荒ぶる神のように動き出すと、なかなかこれを制御できなくなってしまうことは今のロシアやウクライナを見てもわかります。そうなれば、民主主義や人権など二の次になってしまいます。国家がこうした「荒ぶる神」にならないようコントロールするすべはあるのでしょうか?

それが普遍主義であり、「全人類的価値観」なのだと思います。このような国際主義のなかにしっかり国家をつなぎとめておくということです。
ロシアのプーチン大統領が自国民に年頭の挨拶を送っていますが、その内容は国際的な普遍主義への不信感に満ちています。
このなかでプーチン氏は「ロシアの主権、独立、安全な未来は我々の力と意思だけにかかっているのだと再確認しました。西側のエリートたちは何年もの間、ドンバスにおける紛争の解決を含め、平和的な意思を偽善的に保証してきました」と語っていますが、ここにあるのは徹底した対外不信と孤立主義的な思想です。おそらく北朝鮮の指導部も同じメンタリティーをもっているはずです。
ちなみに、これと対極的なのが日本の立場、すなわち日本国憲法の前文です。そこにはこう述べられています。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」

ここは日本国憲法の最も崇高な箇所だと思います。もし日本が「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」できなくなり、「自国のことのみに専念して他国を無視」するようなことになれば、日本国民自身が自らの権利を失い、荒ぶる国家のなすがままになってしまうでしょう。
世界は分断と対立の様相を強めています。そのなかで日本の役割があるとすれば、やや抽象的な言い方になりますが、国際関係の分断を助長するのでなく、それを創造的に結びつけることではないかと感じます。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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