ロシア国防省は3月25日、ウクライナにおける「特別軍事作戦」の第1段階がほぼ完了し、今後は東部のドンバス地域の「解放」に力を入れること、また、プーチン大統領が設定した目標を達成するまで作戦は継続される旨を発表しました。
ロシアが軍事侵攻を開始してすでに1ヶ月を超えましたが、戦況は膠着状態のまま泥沼化の様相を呈し、ロシア軍は一般市民の殺戮をためらわぬ凶暴性と残忍性を強めているように見受けられます。
ロシア軍は当初、キエフを陥落させる準備をしながら、うまくゆかぬことがわかると、東部からクリミアに至る地域の占領作戦に切り替え、そこでも想定外の抵抗にあうと、マリウポリ等の都市壊滅に乗り出し、他方ではリビウなど西部の都市を爆撃するという実にちぐはぐな攻撃を続けています。一体ロシア側は何を目指しているのですか?
ロシア政府が言うことには整合性がありません。東部の親ロシア派住民がウクライナ政府軍により虐殺されているので、彼らの救済に入ったというのがそもそもの「軍事作戦」の理由でした(但し、国際的な人権調査団体は虐殺の事実を否定しています)。ところがいきなり首都を包囲し、全面戦争の構えを見せたのです。そして、ウクライナのNATO加盟はロシアの安全を脅かすため、それを断固阻止するためには、いま軍事行動をとるほかなかったのだと説明するようになりました。
実際、旧ソ連・東欧諸国が次々とNATO加盟を果たしましたが、その上ウクライナまでNATOの一員になれば、ロシアは完全に孤立し、その安全保障が脅威に晒されるという主張にはそれなりの説得力がありませんか?
その主張に関しては、国際政治学者やロシア政治の専門家も一定の理解を示してきました。ですから、ウクライナがNATO加盟を求めず、NATO諸国もそれを後押しすることがなければ、ロシアの軍事侵攻は防げたのではないかとの説もあります。しかし、この説も虚妄であることが今回の戦争で明らかになったとわたしは見ています。
それはどういうことですか?
この点については、京都産業大学のオープンキャンパスで行われたトークイベントでも述べましたので、興味のある方はご覧ください。
要するに、欧米諸国がロシアにとって脅威でないことを一番よく知っているのがプーチン大統領をはじめとする権力者たち、そして「オルガルヒ」(新興財閥を指すロシア語)と呼ばれる経済界の大物たちなのです。欧米が発動した経済制裁によって、ロシアのトップに君臨する人々が、いかに私腹を肥やし、自分の資産を欧米諸国に蓄財していたかが明らかになってきました。もし欧米が敵対国であれは、そこに自分の財産を預けることはしないでしょう。つまりロシアの権力者たちは、自国よりも欧米のほうを信用し、安心だと考えているのです。
一部メディアによれば、現在、プーチン氏の家族はスイスの別荘で暮らしているようですし、英国のロンドンに在住するラブロフ外相の継娘の資産が制裁対象となった由です。そういえば、プーチン大統領が所有すると思われる豪華ヨットをイタリア当局が調査中との報道もありました。ロシアの財閥たちも同様の豪華船をイタリアその他に持っているそうですし、そもそも彼らはロシアより西側諸国に生活の拠点を置いています。
ロシアの権力者たちは、国民には西側が敵だと言いながら、その実自分たちは、西側のほうが自国よりはるかに快適で安心だと知っているのです。今回の厳しい経済制裁は、ロシアの権力者や富裕層が、いかに欧米諸国に依存していたのかを明るみに出したとも言えるのです。ただしロシア政府は、西側からの情報を遮断することによって、この事実を自国民に隠そうとしていますが……。
とすると、この戦争の本当の目的は何なのですか?
プーチン大統領が3月16日に行ったスピーチが大きなヒントになると思います。
その中でプーチン氏は、「ロシア国民は真の愛国者と人間のクズや裏切り者を常に見分けることができる。……口の中に入り込んできたハエを道端に吐き捨てるように排除するのだ」と述べています。
この「人間のクズや裏切り者」には二通りの意味合いがあると考えられます。第一に、戦争勃発の前から、執拗にプーチン政権の悪事を暴こうとしてきた反体制派の活動家たちで、その筆頭は、先日禁固9年の刑が言い渡されたナバリヌイ氏です。同氏は、大統領や権力の中枢にいる者たちがいかに国家を私物化し、国内外で蓄財を行い、政治犯罪に手を染めているか、実際のデータに基づいて暴露してきました。彼が公開した「プーチン宮殿」の動画は再生回数1億回を超えるなど、政権にとって大変な脅威となっていたのです。
第二に、プーチン政権の内部において大統領の方針に懐疑的な人々です。数日前、大統領特別代表を務めるチュバイス氏が大統領に反旗を翻して辞任し、国外に脱出しました(現在、妻とともにトルコにいるようです)。ナビウリナ中央銀行総裁も再任を拒んでいると伝えられています。それから3月11日から2週間近く、ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長が公的な場から一切姿を消し、国外のメディアでいろいろな憶測が流れました(一説には大統領の不興を買い、身柄を拘束されているとも)。ロシア国営メディアはそれを打ち消し、大臣が会議に出ている映像を示しましたが、まだ真相は見えていません。
大統領の最側近はパトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフ連邦保安局(KGBの後身でFSBと略称)長官、ナルイシキン対外情報局長官、ゾロトフ国家親衛隊隊長などですが、彼らの一部も沈黙を保っているように見受けられます。
側近たちも大統領と「同じ穴のむじな」ではあるのですが、戦況が悪化し、想像以上に西側の制裁が強まるなかで、プーチン氏との共倒れを恐れ、保身に走る人が出てきているのかもしれません。
3月14日、ロシア国営テレビの生放送中、ディレクターのオフシャニコワさんが戦争反対の「プラカード」を掲げるという事件がありましたが、彼女はその直前、SNSで政治声明を読み上げています。そのなかで、「ロシアは侵略国です。そしてこの侵略の責任は、ただ一人の人物にあります。その人物はウラジーミル・プーチンです」と言っているのです。わたしはこの声明に違和感を抱きました。わたしなら「責任はプーチン政権にあります」と述べます。プーチン氏ただ一人に責任をかぶせるところにある種の作為を感じるのです。その他にもいくつか不可解な点があります。そもそもこのSNSが当局によって削除されず拡散されたことも不思議ですし、彼女が罰金刑だけで釈放されたことや、釈放後にマスメディアのインタビューに答えるなど、比較的自由な発言が許されている点です。ひょっとすると彼女はFSBなど権力の中枢部に守られている気がします。
ここから先は単なる「妄想」と言われたらそれまでですが、その中枢部の人物(たち)は、プーチン大統領個人にすべての責任を押し付け、切り捨てることによって、自らの延命と権力の継承を企み、その手段としてテレビディレクターを利用したのではないか……。ことによると、ウクライナ戦争が始まる以前から、すでに何らかの権力闘争が始まっていたのかもしれません。
陰謀論めいた話になってきましたが、根拠はありますか?
あくまでも状況からの推測です。ただ、この戦争によって大統領に忠誠を誓う者と、怖気づき、逃げ腰になる者があぶり出されたのは確かでしょう。プーチン氏は、この臆病で信用が置けない腹心たちを特定し、排除することを目的としてこの無謀な戦争という荒療治を行ったのではないかとの仮説も成り立ちそうに思います。中国の文化大革命も、反毛沢東派をあぶり出し、粛清するための政争の極限化でしたが、どこか似ているところがあります。ともかくこの戦争を機に、プーチン政権は自らの政敵を一網打尽にし、政権の悪事を暴こうとする者たちを「人間のクズや裏切り者」として一掃しようとしているように感じられます。とすれば、この戦争こそ、過去の悪事を隠蔽するために仕組まれた一大政治犯罪だと言わねばなりません。
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