かわらじ先生の国際講座~戦争と平和

ウクライナのクレバ外相は2月22日、米国フォックス・ニュースの取材を受け、「ソ連が崩壊した時、核兵器を手放したことは間違いだったかもしれない」と述べました。「世界第3位の核保有国だったウクライナは、米露英が領土の保全を含む安全保障を約束したことと交換に、ブダペスト覚書に調印し、核を放棄した」が、結局、だれもその約束を守らなかったと、ロシアのみならずNATO側をも批判したのです。

クレバ外相の発言は、わが国を含めた国際世論の共感を呼んだようで、もし核を保持していたら、ロシアによる軍事侵攻を招かなかっただろうとの論調もネットに散見されます。これについてどう考えますか?

まずクレバ外相の発言は、客観的な事実に反している点は指摘しておかなければなりません。詳しくは以下の秋山信将氏の解説記事をご参照ください。

 Yahoo!ニュース 
「ウクライナは核を放棄したからロシアに侵攻された」という議論が見逃しているこ...
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cdf70a7089abd2b517bc387ff80b7495dfab53d
 ウクライナは核を放棄したからロシアに侵攻されたのだ――ロシアがウクライナへの侵攻を続ける中、日本でもそうした議論を目にするようになった。しかし、単純にそう考えてしまっていいものなのか。国際政治、な
要するに数としては世界第3位の核兵器があったにせよ、ウクライナにはその運用システムも保管技術もなく、ソ連時代の惰性でただ置いていただけであり、放棄する以外の選択はなかったわけです。

しかし米国などNATO諸国が手助けすれば、きちんと配備することも可能だったのではありませんか?

そのような言説がまかり通るようになってきていることに危機感をおぼえます。国際社会の目標は核兵器の廃絶です。それが当面困難であることから、次善の策として各国が核拡散防止条約を結び(2021年5月現在、締約国数は191ヵ国・地域。ウクライナも含まれる)、目標に向けて検討を重ねているのです。ところがロシア軍のウクライナ侵攻によって、これまでの努力が水の泡になりかねない空気が生まれています。小国が独裁国家から自らを守るためには、核の抑止に頼るほかないという短絡的な考え方が拡散しているように感じられます。

わが国でも最近、安倍元首相が米国との「核共有」を提案したり、菅前首相が核保有の議論に賛同したりと、にわかに核をめぐる議論が活発化しています。

日本維新の会も「核共有」議論の開始を政府に提言しました。

この一連の動きについてはどう見ますか?

こうした政治家たちの言動がニュースに流れると、たとえばヤフーニュースのコメント欄にはそれを支持する意見が驚くほどたくさん掲載されます。中国の台湾に対する野心や北朝鮮によるミサイル発射という現実を直視すれば、今のウクライナは明日の我が身だというのです。ウクライナの教訓が核兵器の容認であるという全くグロテスクなことになっています。さらには、祖国を守るための「聖戦」を賛美する風潮が強まっていることにも危惧しています。

具体的にどのようなことですか?

まずはウクライナのゼレンスキー大統領が、わが国でも英雄視されていることです。彼はNATO軍の加勢を得られない孤立無援のなかで、家族とともにキエフにとどまり徹底抗戦を誓い、国民総動員令を発令し、18~60歳までの男性の出国を禁じ、ともに戦うことを求めています。さらに外国からの義勇兵も募っています。政府から支給された銃を手にし、火炎瓶を手作業で作り、ロシア軍との死闘に備えているウクライナの人々の姿が連日のようにテレビで報じられていますが、コメンテーターたちは大統領と国民の悲壮な決意に胸打たれ、崇高なものを見ているように讃嘆しているといったあんばいです。それに水を差す言動は慎まなければならないといった雰囲気がわが国で醸成されているような気がします。日本からも70名が義勇兵に志願したそうですが(外務省は踏みとどまらせています)、ネットをみていますと彼らに好意的な意見が多いように思われます。わたし自身もウクライナの惨状に何かいたたまれない気持ちになりますが、他方で、別の道はなかったのかという思いも禁じ得ないのです。

別の道とは何ですか?

ロシアによる軍事侵攻は、弁護の余地がない絶対悪であることを大前提として言いたいのですが、この悪によって祖国を失えば子々孫々に不幸は及ぶ、だから今の世代が犠牲になってでも子孫の未来を守ろうという決意は正当なのか……。今の世代の命がこの戦いで失われていいのか。1週間でウクライナの民間人が2000人以上死亡しました(3月2日現在)。これから万単位に膨れ上がるのでしょう。政治家は国民の命を守るのが仕事のはず。よし大義があるにせよ、国民に命を差し出すことを求めるゼレンスキー大統領は、戦士としては英雄ですが、政治家としては失格だったのではないか。かりにウクライナが持ちこたえても、ゼレンスキー氏は政治家に戻れないのではなかろうか。ウクライナは国防優先の国家に変貌し、大統領は「戦士」としての相貌を残したまま統治してゆくことになるだろうと思います。

悲観的ですね。なぜそう考えるのですか。

これでも楽観的な見通しです。もっと悲観的なことを述べれば、プーチン大統領の意志が貫徹され、ウクライナがロシアに併合されてしまうことです。むろんゼレンスキー政権も瓦解します。その公算は決して小さくないと思います。しかしわたしが恐れるのは、専制主義が民主主義に勝利し、ロシアや中国や北朝鮮やイランやといった国々が手を結び、世界に専制主義の陣地を押し広げてゆくことだけではありません。
ことによるとそれ以上に深刻な脅威は、専制主義からの攻撃に備え、平和を守るために、民主主義陣営もまた軍事万能の国家に変質していくことです。合わせ鏡のように、われわれの体制も専制主義と似通ってしまうのではないか。民主主義陣営もまた軍事強化を図り、核武装し、結束を乱す言論を封じ、専制主義の国と「似たもの同士」に陥っていくことを懸念するのです。平和を守るために、われわれ民主主義陣営も軍国主義の色に染まるとすれば、その「平和」は暗澹たるものだと言わざるを得ません。

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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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