兄姉が幼い妹弟の面倒をみたり、おじいちゃんおばあちゃんのお世話のお手伝いをしたり、忙しい親の代わりにご飯を作ったり、家族の中で子どもも家事育児介護に参加している姿は昔からよく見かけるものでした。「お手伝いをする良い子」と言われることもあったでしょうし、夏休みの宿題にお手伝いが挙がっていることもありました。
ここ数年に「ヤングケアラー」という言葉をよく聞くようになりました。また、市役所や役場では「ヤングケアラー支援」の相談を専門にできる窓口が出来ている地域もあります。
ヤングケアラーとは、その名の通り、ヤング=若い、ケアラー=介護者、という意味です。この定義は法律の中ではまだないのですが、一般社団法人日本ケアラー連盟では「家族にケアを要する⼈がいる場合に、⼤⼈が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情 ⾯のサポートなどを⾏っている18歳未満の⼦ども」としていて、この定義が現在では広く使われています。
『大人が担うようなケア責任』とありますが、お手伝いの度を超えた家事や介護は、子どもや若者にどのような影響があるでしょうか。第一に思いつくのは、家庭で勉強をしたり遊んだりする時間が持てなくなる、ということです。宿題も遊びも、子どもにとっては大切なものです。次に、夜遅くまで介護や家事を担うと、日中に疲れが残り、登校や日中活動ができにくくなることです。ほかにも、乳幼児の世話から手が離せず、学校へいけなくなったり、精神疾患のある大人の相手をすることで過剰に心への負荷が高まって、心が傷ついてしまうことも想像できます。
このような状況にいる子どもについて、本来の子どもらしい生活ができるように早急に支援の手を差し伸べることは大切です。しかし、実際はこの当たり前の支援が難しい状況です。介護保険制度や障害福祉サービスが有効に活用され、育児や家事サポートも適切に利用できればいいのですが・・・。見知らぬ他者や、手続きや利用に範囲のある行政サービスよりは、家族内で対応したほうがいいし、子どもにさせた方がいろいろと便利だと感じることがあるかもしれません。私たちが子どもだったころ、家族同士の世話は当たり前だったとおもうかもしれません。家庭に他人に入ってこられるのを嫌う人は多く、それは理解できる感情に思います。
しかし、なによりも優先的に守るべきなのは、子どものことです。学び、遊び、しっかり睡眠をとり、適度に食べ、のびのびとした気持ちで日々を過ごすことは、子どもにとって大切で、子どもはそれが護られるべきです。でも、実際は、子どもが子どもらしさを犠牲にしている例が少なくありません。
子どもやその親、その家庭のみに変化をもとめ解決を求められる問題ではありません。社会の認識を変えていかなければなりません。子どもの権利をまもり、家族のバランスをまもり、家族メンバーのそれぞれの幸せのために、介護や育児、その他家族の課題を、家族んないだけで抱え込まずに、地域みんなでつながり考えて取り組んでいくことが大切だとおもいます。
では、そのために具体的に何をすればよいのでしょうか。残念ながら、私はまだこの答えになるものを、探している最中です。みなさんは、どんな社会になれば、子どもを含むすべての人がそれぞれの状況に応じて、幸せに生きていけると思いますか?