「持続可能な魂の利用」
本の紹介です。
私がこの本を手に取ったきっかけは、あるラジオで紹介されていたからでした。
そして、そのラジオを聴いた理由は、私の周りで起こる「ハラスメント」「性暴力」「性被害」が、ここ数年ですごく増えていて、相談にのっているだけでも私自身がダメージを受けてしまうようなことが続いていたからです。
そして、今年に入り、コロナ禍において、「性暴力・性被害の相談が増えている」と実感している相談員仲間が複数います。(統計的な数字ではなく感覚として。)
この本は小説です。
簡単にまとめて紹介することができないのですが、読んでいた私が感じたことは、
「そうそう!」
「くやしい!」
「あるよな。」
「そういうことか!」
「なめんな!」
「いけ~!」
という感じです。
参考までに帯の写真を載せるので、帯の内容から想像してください。
10月に書いたコラムで私は「オンラインセクハラに遭遇した」ということを書きました。
http://canaria-c.net/2020/10/09/sexual-harassment/
そして、私は、11月にオンライン研修の講師をした際、事例を挙げて、「こういうことがありました。オンラインセクハラには気を付けましょう。」というような話をしました。
すると、直後に、講師である私に「プライベートチャット」という私にだけ伝わる方法で、参加者からメッセージが届きました。
内容は、「さっきの事例って、〇〇さんのことですかねえ。」というものでした。
それは、私たちの仕事の非常にかかわりが深いところで起こった性暴力問題で提訴された人の実名を書いたものでした。メッセージを送った参加者を画面で見ると、ニヤニヤしてこちらを見ていました。
(〇〇さんはもちろん全く関係ありませんでした。)
私はとても不快な気持ちになりましたが、研修を続けなければと思い、必死で話をつづけました。全員に対して「いま、チャットで質問がありましたが、先ほどの事例はこの県で起きた事例ではありません。」とだけ返しました。
私はその時、「これもセクハラだ。」と思いました。
「オンラインセクハラはやめましょう。」と言ったら返す刀でオンラインセクハラをされる。
いったい、この社会はどうなっているんだ…。絶望的な気持ちになりました。
でも、同時に、私は、自分の感覚に自信が持てませんでした。
「こんなことで、セクハラっていうのは、私が過剰反応をしているのだろうか?」
「黙って流すべきなのだろうか?」
モヤモヤしながら、お昼休憩に、「セクハラ」という単語を使わずに、「こんなことがあったんですよ。」と伝えたら、「それって、セクハラですよね!」と言ってくれた人がいました。
その人は男性でした。男性がそういってくれました。
「わかってくれる人がいる。」私は心底ほっとして、後半の講義を続けることができました。
―毎日がレジスタンス―
この本に出てくる言葉です。
わかってくれる人に励まされながら、つながって、社会を変えていきたいと思います。