かわらじ先生の国際講座~権力と言論――どちらの国が幸せか?

「どちらの国」とは、どの国とどの国の比較ですか?
日本と中国を念頭に置いています。

「権力と言論」に関するかぎり、一党独裁でなく、言論の自由も保証されている日本のほうが幸せに決まっているでしょう?
ごもっともです。ただ、あえて挑発的な言い方をすれば、言論の自由のために戦っている中国の活動家や市民がうらやましくもあるのです。

なぜですか?
先日、NHKのBSで「中国と闘う風刺アートBadiucao」という番組を見ました。

Badiucaoは上海生まれの30代の画家で、単身オーストラリアに移住し、習近平主席の独裁体制を風刺するストリートアートを描き続けています。中国当局の迫害を恐れ、覆面をつけて活動していましたが、やがて当局に正体が知られ、中国の家族が警告を受けるという重い内容でした。
社会主義体制下のソ連でも、体制を批判する知識人や文化人が迫害され、軟禁されたり亡命を余儀なくされたりしましたね。社会主義国家は権力批判がタブーですから。
習近平氏の看板に墨をかけた女性が政府当局に監禁され、抗精神病薬を過剰に投与されたらしいと、つい最近、共同通信が報じていました。

また「京都新聞」5月2日付第12面の「ニュース こう見る」欄に、中国生まれでカナダ在住の映画監督レオン・リー氏のインタビューが載っていますが、中国における人権侵害の酷さがよくわかります。リー氏は反体制派を「矯正」するための収容所の実態を暴いたドキュメンタリー映画「馬三家からの手紙」を製作し、日本でも公開した由です。ぜひ見たいものです。ちなみに現在は、中国の大学の検閲問題をテーマとした映画を製作中だそうです。

いまや中国政府の迫害は、日本人にも及んでいるようですね。
はい。中国に入った何人かの日本人学者がスパイ容疑で捕まっています。昨年秋にも北海道大学の教授(私の研究仲間です)がスパイ罪の容疑で2ヶ月間中国に拘留され、「反省文」を書かされて釈放されましたが、まだ捕まったままの邦人もいるようです(「週刊新潮」2019年12月5日号)。


酷い話ですね。彼らによる拘禁には根拠があるのですか?
法的根拠は一切示されません。われわれの通念からすれば恣意的なものです。ただ、はっきり言えることが一つあります。それは彼らが、現体制の真実を暴き告発しようとする者に対し牙を剥くということです。権力の腐敗、汚職、乱脈、失政、スキャンダル、民族問題の現実等々、決して表に出したくない「恥部」を明らかにしようとする者を徹底的に押さえ込むわけです。これは、権力側の弱さの表れだと私は見ています。
どういうことですか?
権力者たちは、自分たちの実態があらわにされると正当性を失い、国民に打ち倒されることを知っているのです。そしてそれを極度に恐れているわけです。現にソ連では、ゴルバチョフ政権が「グラスノスチ」(情報公開)を推し進めた結果、民衆の共産党批判が噴出し、政権崩壊をもたらしました。東欧諸国もしかりです。「千丈の堤も蟻の一穴から」ということわざがありますが、共産党政権が恐れるのはまさにそれです。たとえ一つの失策でも表沙汰になれば、そこから政権にひびが入り、体制が瓦解してしまうと感じているのでしょう。だから小さな告発でさえ許せないのです。
逆にいえば、中国ではそれだけ言論に重みがあるのです。一知識人、一文化人、一アーチストの言動やパフォーマンスに中国は神経をとがらせ、怯え、気を緩めることもできないということです。
なるほど。ひるがえってわが国はどうか、ということですね。
自衛隊の日報隠蔽問題、森友学園問題、加計学園問題、公文書改ざん問題、桜を見る会問題、大臣たちの失言連鎖、最近ではいわゆる「アベノマスク」発注先や予算見積もりのいかがわしさも含まれそうですが、とにかく、本来なら政府にとって致命的な事件やスキャンダルが次々と明るみに出されました。それなのに、暖簾に腕押しというのか、のらりくらりとかわされている内に、だんだんわれわれの印象も薄れてゆく始末。
「週刊文春」3月26日号は、森友問題の文書改ざんを告発し自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫氏の遺書全文を公開しました。同誌は「『隠蔽の安倍政権』の真実がついに明らかにー-」と大見得をきり、現に「内閣が吹っ飛ぶようなこと」が綴られていました。テレビの情報番組もこぞってこの記事を取り上げました。しかし国会では安倍首相も麻生副首相も再調査の必要なしで押し切り、そのうち新型コロナ禍の猛威から国会はコロナ一色に染まってしまいました。日本では命をかけた当事者の告発でさえ無力なのでしょう。
最近、ネットで「新聞記者」という映画を見ました。日本アカデミー賞最優秀作品賞をとった社会派サスペンスです。そのさわりだけ書きますと、内閣府が主導して、細菌兵器を開発するための新設大学を創ろうとしている、という情報を主人公の新聞記者が入手します。この情報の隠蔽工作をした官僚が自殺する場面は森友問題を彷彿させます。その部下であった内閣情報調査室の若手官僚(もう一人の主人公)が真実を突き止め、新聞記者と協力して巨悪をあばこうとするのですが、結局はもみ消されてしまうという重い話です。私はこの映画を懐かしさ半分、むなしさ半分の気持ちで見ました。
なぜですか?
まず懐かしさですが、この映画の根底には言論の力を信じる正義感があるからです。もしも真実がもみ消されず、明らかにされたなら、巨悪は倒れるだろうという希望があります。清く正しい者と醜い権力、すなわち正義と悪の二項対立が明瞭で、かつてソ連の人権活動家もその図式のなかで戦っていたなあと思い、つい懐かしくなった次第です。いまの中国の反体制派も同じ構図のなかで活動しているといえるでしょう。
では、むなしさとは?
かりにあのスキャンダルがもみ消されず、立証されたとしても、今の日本なら政府はぐらつきもしないだろうと思われるからです。「中国武漢のウイルス研究所をご覧下さい。わが国も攻撃のためではなく、国家安全保障のため、ウイルス研究は必要不可欠なのでありまして、積極的平和主義のもと、国立の高等研究機関を創設する次第です」とスキャンダルをすべて肯定してしまえば、もはやスキャンダルでも何でもなく、国内もなんとなく収まってしまいそうな気がするのです。
つまり、中国の人権活動家や反体制派には、言論という政権を倒すための武器があります。その代わり、彼らはその言論という武器を、命がけで勝ち取らねばなりません。
他方われわれは、政府を批判しようが指導者を罵倒しようが、とがめられもせず、捕まりもしません。その代わり、言論があまりに非力なのです。ワイドショーでも正義は語られますが、その言論はむなしく消費されていくだけのように思われてしかたありません。権力と戦うための言論の重みや力という観点でいえば、ある意味、中国の言論人のほうが幸せな気がしてきます。

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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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