かわらじ先生の国際講座~新型コロナウイルスとロシア

新型コロナウイルスの感染は世界的に増加の一途をたどっています。特に欧米における状況は深刻で、イタリアでは死亡者がすでに中国を上回っています。アメリカのトランプ大統領は国家非常事態を宣言し、フランスのマクロン大統領も「戦争状態」という言葉を使い外出禁止令を発動しました。ドイツではメルケル首相自身が、陽性の医師と接触したことから自宅隔離されることになりました。こうした報道のなかで、なぜかロシアやプーチン大統領の影が薄い気がします。こと新型コロナに関するかぎり、ロシアのニュースをほとんど見かけないのはどうしたわけでしょう?
端的にいえば、ロシアの政府もマスメディアも世界の耳目を集めるようなニュースを流さないからです。
それはロシアに言論の自由がなく、報道統制されているという意味ですか?
長年ロシアを見てきた者としていえば、ちょっと違います。ロシアは伝統的に、危機に際して国民が結束し、自国の弱さを極力外部に見せまいとする防衛本能が働きます。この点ではリベラルも保守も一致団結するのです。1920年代初頭の内戦時にも、1930年代の大粛清の時代にも、あるいは独ソ戦争の時もそうでした。愛国心の発露ともいえますし、それだけ外部世界への不信感が強いのだということもできます。弱さを見せれば敵につけこまれると警戒するわけです。
しかし、実際のところロシアにおける状況はどうなのでしょう?
政府発表に基づいた統計によれば、3月22日現在367人の感染者が報告されています。


欧州の国としては極端に少ないのですね。感染拡大防止のための策は講じられているのですか?
中国とは蜜月関係にありながら、いち早く中国への制限を決めました。1月30日、ロシア外務省は中国人に対する電子ビザの発行を停止し、31日には4000キロ以上に及ぶ中国との国境線の大部分の検問所を封鎖し、中国人の通行を禁じてしまったのです。この段階でロシア人の感染者はゼロでしたから、初期対応は極めて迅速だったといえます。
以後のロシア政府の政策を時系列的に記せば、2月20日には中国人に対する規制をさらに強化しましたが、それ以外の国籍の人間への制限はなされませんでした。
2月26日ロシア政府は自国民に対し、韓国、イラン、イタリアへの渡航を自粛するよう要請しました。
3月13日よりイタリア、ドイツ、スペイン、フランスとのフライトが制限されました。さらに16日よりEU諸国、スイス、ノルウェーとのフライトも制限されました。そして18日より5月1日まで、すべての国籍の外国人に対する入国制限がなされることになったのです。同時に国内においても、様々な集会が禁じられる措置が講じられています。3月23日から4月12日まで全国の小中学校が休校となりました。
初期の対応は早かったものの、2月と3月における対応策は他の欧米諸国とあまり変わりませんね。とすれば、感染者の実数はもっとずっと多いのではないでしょうか?
わたしもそう疑っています。しかしロシア政府の公式の数字は先ほど示したように400名足らずですし、まだ死者が出たとの報道もありません。このへんがロシア的なのです。
さらにもう2つ、ロシア的だと思われる点を挙げてみます。第1は、医療における優位性を世界に印象づけようとしていることです。たとえばプーチン大統領は今月21日、イタリアに対し医療支援を行うようロシア国防省に命じたと報じられています。

またロシアは、日本と共同で新型コロナの高速検査用具を開発し、生産する意向も明らかにしています。

第2点目は何ですか?
どうやらプーチン政権は、この新型コロナウイルス禍を政治利用しようとしていることです。現在ロシアの議会では憲法改正作業が進められていますが、3月10日にワレンチナ・テレシコワ議員が大統領任期制の制限撤廃を提案し、これが承認されました。プーチン大統領は今年1月の年次教書演説で、大統領の任期は2期に限ることとし次の大統領選挙に自分は出馬しない意向を示していましたから、テレシコワ議員の提案によってプーチン氏は次の大統領選にも立候補できることになったわけです。
テレシコワ議員の提案はプーチン氏自身の思惑を反映したものということですか?
そうです。テレシコワ女史は現在83歳ですが、もともとは宇宙飛行士で、1963年に女性としては人類史上初めて宇宙に飛立った英雄であり、生けるレジェンドです。彼女の「私はカモメ」という言葉はある世代以上の日本人なら大概知っているはずです。この国民的英雄の口を借りて、プーチン氏は大統領三選への道を開いたとみることができます。しかも新型コロナは、この思惑の追い風になっているのです。
どういうことでしょう?
第一に、このような非常事態時には、やはりプーチン大統領のリーダーシップが不可欠であると国民は考えざるを得なくなっています。プーチン続投を望む世論は高まっているはずです。第二に、それでもプーチン大統領の三選を認める憲法改正には反対だという世論も存在するでしょう。そして憲法改正阻止、プーチン三選反対の声をあげる勢力が現れるかもしれません。しかしこのコロナウイルス禍で、反プーチンの大衆集会を開くことはできません。感染拡大防止を口実に、あらゆる政治集会を禁じることが正当化されているからです。これを機にプーチン体制はますます強化され、独裁の方向に傾斜してゆきそうなあんばいです。

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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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