教育勅語はなぜ使用すべきでないのか

10月4日にモモ母さんが「教育勅語は儒教思想ではない!」という記事を書いておられましたが、本日もこの話題におつきあいください。
柴山文科大臣が就任記者会見で、教育勅語を現代風にアレンジして道徳教育に使っていくことは「検討に値する」と述べました。批判を受けて釈明に追われているようです。ただし、「教育勅語には普遍的価値がある」という持論を撤回はしていません。

昭和23年(1948年)に国会で失効が確認された教育勅語ですが、再び教育現場で使うべきだという主張が一気に表面化したのは平成26年(2014年)のことです。
4月の参議院文教科学委員会において、文部科学省はそれまでの説明を転換し、「教育勅語の普遍的な内容に着目して学校教育で扱うことは差し支えない」としました。この答弁をしたのは当時の事務次官であった前川喜平氏で、当時の下村博文部科学大臣に答弁の書き換えを指示されてのことでした。その時の経緯を、前川さんがこちらで語っています。


また平成29年(2017年)には、森友学園で幼稚園児が教育勅語を暗唱させられていたことなどで社会的な注目が集まる中、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定がありました。

このように、政府や文科省の説明が転換されてしまったことに危機感を持った教育研究者たちは、反対声明を出したり、教育勅語について改めて研究を取りまとめて発信したりしました。

政府の教育勅語使用容認答弁に関する声明(2017年7月31日更新)

例えば、世識書房から日本教育学会教育勅語問題ワーキンググループ編「教育直後と学校教育ー教育直後の教材使用問題をどう考えるかー」という書籍が発行されたりしています。


非常に大部な研究成果で、すべてをコンパクトにまとめるのは私の力量に余るところですが、教育勅語を「現代風にアレンジして学校で使う」ことはあってはならない理由は主に次の3つです。
1つは、教育勅語は「勅語」つまり、天皇主権の国家における天皇からの命令であるということです。主権在民(国民主権)の原則のもとに行われる現在の学校とは相いれません。
2つめは、国民の内心の自由を権力が縛るものであることです。
実は、教育勅語が作られた当時でも、政府内に反対意見はありました。ちなみに最初に教育勅語の作成を命じられた文部科学大臣 榎本武揚は、教育勅語づくりに取り組まなかったので更迭されています。教育勅語を起草した井上毅自身も、教育勅語制定には反対でした。
彼らが教育勅語の制定に反対した理由は、大日本帝国憲法が作られた当時でも、「国家権力は国民の内心の自由(心の自由)に介入してはならない」という考えが立憲国家としての世界の常識であり、井上毅もそれを十分に理解していたからでした。
しかし、(榎本が更迭された後に)文部大臣になった山縣有朋の教育勅語制定への意思が固く、井上が起草を固辞すれば、より国粋主義的で、かつ国民の内心の自由の侵害が著しい文章が作られてしまうことが見込まれていました。そのため井上は、ある意味で苦渋の決断として、自ら教育勅語を起草したという経緯があります。
結果的に教育勅語が作られたとはいえ、「個人の心の自由を国家権力が縛ってはいけない」ということは、明治の政治家たちもわきまえていたのです。平成も終盤になろうとしている現代の政治家たちが、再び教育勅語を作って、子ども達の心・国民の心を自分たちの思うように縛ろうとするというのは、時代錯誤も甚だしいのではないかと思います。
そして井上の配慮もむなしく教育勅語は、日本が無謀な侵略戦争に突き進む中、子ども達を「国のために喜んで命を捨てよう」と思う人間へとコントロールする装置として、見事に機能しました。これが教育勅語を教育現場で使うべきではない3つめの理由です。
上述のような制定背景もあり、教育勅語の文章それ自体は、「国のために死にましょう」という趣旨の部分が比較的少ない書き方になっています(少なくても書いてあるので同じですが)。「教育勅語には良いことが書いてある」と仰る人達の中には、この点を見てそうおっしゃっている人もいるかもしれません。しかし、井上の配慮は結果として力を持ちませんでした。「国家(当時は天皇)が国民に対して『国のためにこういう心を持ちなさい』と命令するもの」は、学校などの場に持ち込まれると子どもたちをマインドコントロールしてしまうのです。

「教育勅語を現代風にアレンジして活用する」ということは、主権在民と基本的人権の尊重に反し、なおかつ「国家権力によって国民の心をコントロール」するという、大変恐ろしいことだと思います。(右イラストはFBページ「主張するネコたちのこと」より転載)
—————————————
西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。