かわらじ先生の国際講座~天皇と政治

天皇を政治に利用してはならないと聞いたことがありますが、どういうことでしょうか?
国論(国民の意見)が分裂している問題に天皇を巻き込んではならないし、特定の政治勢力(政党など)を有利にするために天皇の権威を使うのもだめだということです。憲法第四条にも「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と明記されています。つまり天皇には国の政治に関与する権限はないのです。これは歴史の教訓を踏まえての規定なのです。

といいますと?
戦前の日本は天皇を絶対的な主権者としていましたから、天皇の名のもとにあらゆる理不尽な決定がまかり通りました。その結果、あのような戦を行い、破滅に至りました。戦後は国民主権が確立しましたので、国民自らが政治的決定を下す体制に変わりました。天皇のあり方も一新したことはご存じのとおりです。しかし今日でも、少なからぬ日本人が天皇を尊崇し、その言葉をありがたく感じる気持ちを保持していますので、それが政治に利用される余地は大いにあります。

実際に天皇が政治に利用された例はありますか?
実は平成以降、そう取られかねないケースが増えました。そして令和になり、その危険性はさらに高まっているように思われます。「週刊金曜日」10月18日号が「天皇の政治利用してませんか?」という特集を組んでいるのも、このような趨勢に警鐘を鳴らしたものといえるでしょう。すこし具体例を挙げてみます。

ぜひお願いします。
有名なケースを二、三紹介しますと、まず平成4年10月下旬、宮澤喜一内閣のもとで天皇皇后の訪中が実現しましたが、これには与党保守派から強硬な反対がありました。政府はこれによって中国との戦後処理問題を決着させようとしたのですが、天皇を対中「謝罪外交」に巻き込むなというわけです。平成21年12月には鳩山由紀夫内閣が、訪日中の習近平・中国国家副主席を異例の形で天皇に引き合わせましたが、これも自民党ほか諸方面から天皇の政治利用だと厳しい批判を浴びました。天皇を使って中国との関係打開を図ろうとしたとの理由です。平成25年10月31日には、山本太郎参議院議員(当時)が園遊会の場で天皇に直接手紙を手渡し、物議をかもしました。福島の原発事故で被曝した子供たちの現状を訴える内容だったといいますが、天皇の政治利用だと各方面から叩かれました。

最近はどうですか?
経済の長期低迷や災害が続くなかで新元号が発表され、以後「令和フィーバー」とも呼ぶべき祝賀ムードが日本を覆っています。安倍政権も支持率をアップさせ、菅官房長官は「令和おじさん」として若い層にも親しまれるようになりました。改元がみごとに政権浮上策となった感があります。そして令和最初の国賓としてアメリカのトランプ大統領を招待し、新天皇・皇后も特段のもてなしをしました(大統領が宿泊しているホテルに両陛下自らが出向いたほどです)。日米貿易問題が緊迫するなかで、安倍内閣が天皇をアメリカ懐柔のために利用したと批判する識者やマスコミ報道もありました。

天皇の政治利用は、主として時の政権が行うことだと解してよいでしょうか?
山本太郎氏の場合は特殊ですが、一般にはそう言っていいでしょう。他方でわたしは、反政権側の人たち、特に安倍首相の改憲論に反対する反戦・平和活動を行う人々やリベラル派もまた、天皇の政治利用に傾きがちな点に危機感を抱いています。

どういうことですか?
平成天皇は在位約30年のあいだ、太平洋戦争の激戦地をめぐる「慰霊の旅」を積極的に行いました。これをもって天皇が今日の時流を危惧し、自ら平和憲法の尊さを国民に示そうとされているのだと論じる向きがあることです。
たとえば「朝日新聞」平成27年5月11日付には、記者の署名入りで「お言葉がいま際立つ理由 天皇、皇后の平和と憲法に込める思い」と題する記事を掲載していますが、そのなかに次のような一節があります。

天皇、皇后両陛下が積極的に平和を築き、次世代に受け継ごうとする姿に近年、注目が集まっている。国内外で節目の年に続けてきた「慰霊の旅」だけでなく、各地で住民と膝を詰めて言葉を交わす全国行脚を繰り返している。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、戦争放棄をうたう憲法9条の改正も視野に入るなど、日本社会の右傾化が懸念されるなか、天皇、皇后両陛下の言葉こそが、平和の最後の砦のようになっている。

これではまるで、天皇が国民に成り代わって、安倍政権と闘ってくれているのだと言わんばかりですね。
はい。この記者のメンタリティーは戦前そのものです。われわれの平和を天皇頼みにしていいのでしょうか。戦後、日本国民は主権を天皇から自らの手に取り戻したのです。平和は国民が自ら勝ち取るしかないのです。天皇の言葉にすがっているようでは、また戦前に逆戻りです。
昨今、「皇室外交」に期待を寄せる識者の声もよく耳にします。たとえば「京都新聞」11月2日付の「土曜評論」欄に、関東学院大学の君塚直隆教授が「『皇室外交』の強み」と題するエッセイを寄せていますが、同氏はそのなかで「『皇室外交』は首相、外相らと異なり、基本的には任期や辞任による中断がない。首尾一貫して自らの姿勢を示し続けることが信頼関係を醸成する上で強みになっている」と述べています。
たしかに天皇皇后ともに語学が達者ですし、国際人としての資質を備えています。しかし外交を天皇にさせてはいけないのです。国民主権の意味をよく考えなくてはなりません。天皇は憲法第一条に記されているとおり「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」です。象徴には主権も責任もありません。その象徴が政治や外交を行うことはおかしいし、政治や外交に利用されることがあってもなりません。国政は主権者のみが行い得る行為なのです。

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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰


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