今月もたくさんのご投句をありがとうございました。
2月4日から19日までに頂いた作品をコメント付きで紹介します。
△伊勢の沖浪の忙しき二月かな 羽後子
【評】気の付いたことを3点申します。第一に、「かな」で収める句は、上五や中七に切れを入れない方が調べがよくなります。この句は上五で軽い切れが入りますので、例えば「伊勢湾の」とされてはいかがでしょう。二点目、浪の形容として「忙しき」がどうでしょう。「荒き」「高き」「激しき」はよく用いられますが、「忙しき」は初めて見たせいか、ややしっくりきませんでした。三点目、「二月かな」ですと、一か月間全体を通してのことで、一般論になってしまいますので、今一つ緊迫感が弱まる気がします。自分がその波をみた現在只今のこととして作った方が迫力が増すように思います。
〇 冬怒濤三味線叩く瞽女の撥 羽後子
【評】ひきしまった作風で、強いイメージも伝わってきます。句材としては、文学でよく取り上げられるテーマですので、欲を言えば、「三味線叩く」をさらに推し進めた、その情景を見たものでなければ言えない表現を工夫されると、さらにオリジナリティーの高まる作品になります。
△~〇 マスクして振り返る児や園児バス マユミ
【評】すなおに作られたよい句ですが、下五の「園児バス」がいかにも説明的で、とってつけたようです。家の前、保育園の前、バス停の前など具体的な場所にするか、時間に関する語で置き換えるかしてもいいように感じました。
〇 太筆に墨をたつぷり寒明忌 マユミ
【評】寒明忌は碧梧桐の命日のこと。碧梧桐は書家としても有名でしたから、少しつき過ぎかもしれませんが、きちんとまとまった作品です。中七、「墨たつぷりと」としたほうが、よりシャープになります。
△蹲に張りし氷をパリと割る 万亀子
【評】2点申します。まず、「張りし」は不要です。氷といえば、張るか、溶けるかのどちらかですので、言わずもがなです。「蹲の氷…」と作り直すとよいでしょう。2点目は、「パリと」がいけません。氷が割れる瞬間の様子は複雑繊細で、音のみならず、指で押すときの体感、ヒビの入り方、その他もろもろの現象が起こるわけです。それは言葉で表現できません。ですから、読者自身に感じてもらわないといけないのです。また、それを読者自身に感じさせるように作るのが俳句の要諦です。それを「パリと」と表現してしまうと、複雑さが消え、きわめて単純化されたイメージを作者が読者に押し付けることになってしまいます。オノマトペはできるだけ避けたい所以です。
〇 湯たんぽを猫と分け合ふ独居かな 万亀子
【評】きちんとできている句です。合格点をつけてもよいでしょう。ただし、下五を「独居かな」「一人かな」「一人暮らしかな」とする句は本当にたくさんあります。俳誌の選者として毎月千、二千の句を読んでいると、「また独居か」といささか疲れます。万亀子さんにはこの語はぜひ卒業してもらいたいと思います。猫と湯たんぽの温みを分かち合ったということだけで十分に作者の幸福感は伝わります。それに「独居」であることを付け加えると、なにか感動に別の要素が加わって一句の印象が濁ってしまう気がします。
△~〇 凍空へテープカットのファンファーレ 剛司
【評】句の作り方はすっきりとして大変よいと思います。ファンファーレとは式典などで流される華やかな音楽ですね。テープカットとありますから、なにか公的な行事なのでしょう。ただ、それが何の行事なのかわからないため、読み手としては今一つ感情移入できません。句のなかでその説明が難しいなら、たとえば「新社屋完成」など、前書きを付けるとよいでしょう。
△~〇 鬼瓦せり出す空に冬星座 剛司
【評】俳句の目でとらえた作品で、アングルもユニーク。仕立て方次第ではさらによい句になりそうな予感がします。2点ほど気づいたことを述べます。まず、この句の面白さは冬の夜空に鬼瓦がせり出していることだと思います。つまり鬼瓦が感動の中心であってほしいのですが、この句の仕立て方ですと、結局鬼瓦は後退してしまい、冬星座が中心になってしまいます。たとえば下五を「せり出す鬼瓦」としたほうが、より印象的になるような気がします。2点目は、「空に冬星座」がいけません。間延びした感じになるためです。俳句は間髪入れず、印象を相手に伝えなくてはなりません。「空に」は自明ですから、省略しましょう。
〇~◎ 春愁や旅装を解くに日の高く 徒歩
【評】いいですね。日が暮れて旅装を解くなら、一日たっぷりと旅をしたという充実感もありますが、まだ日が高いとなると、どこか物足りない感じ。それを春愁と結び付けたところがお手柄です。
〇 築城の残石白し紀元節 徒歩
【評】かつて城を造ったとき、余った石がそのまま取り残されているのですね。俳人ならではの面白い目の付け所です。その石が白々としているあたり、まさに夢のあとといった感じです。それと紀元節がどう結びつくのか、実はわたしの中でまだ消化し切れていません。しかし独創的な取り合わせであることは確かです。
〇 里山の沼田場あかるし木の芽時 音羽
【評】「沼田場(ぬたば)」がよくわからなくてネット検索したところ、「デジタル大辞泉」に「泥深い水たまり。イノシシなどが、体についた虫や汚れを落とすために泥浴びをする場所」と書かれていました。里山ならではの風景ですね。「あかるし」も春先らしくて、季語とぴったり合っています。けっこうな作品です。
△~〇 日溜りの猫に野梅の影あはし 音羽
【評】一応できている句なのですが、少し注文をつけます。まず、猫という小さいもの、しかも大概は黒っぽいものの上に影がさしても、あまり印象鮮明ではありません。猫だとするなら、白猫のほうが影の差し方もよりはっきりするだろうと思います。それから、影が差すなら、日だまりであることは自明ですので、言葉の効率上、省略できそうです。一例ですが、「白猫に野梅の影のあはあはと」としてみました。
〇 如月や半音上がる鳥の声 妙好
【評】春の到来に対する鳥たちの(そして作者自身の)歓びが感じられます。「半音上がる」というところがしゃれていますね。いまの時期にぴったりのよい句です。
△桜餅歩幅合わせし老夫婦 妙好
【評】この句はよくありません。まず、この仕立て方ですと、老夫婦が桜餅を食べ歩きしているみたいです。若者ならいざしらず、年配の方としてはお行儀が悪いと思います。それから、「歩幅合はせし老夫婦」も月並です。この種の句は本当にたくさんあります。要するに一方の人が相手の人を気遣って、ゆっくり目に歩いているという意味合いが見て取れますが、俳句としてはあまり鮮度のない表現なのです。もっと新しい表現を探求していただくと、さらに俳句の高みに進むことができます。
〇 鯉の尾のさつと水蹴る四温かな 永河
【評】四温らしい伸びやかさと明るさを捉えた句ですね。わたし自身の余計なこだわりかもしれませんが、「尾が水を蹴る」と言っていいのかどうか、ちょっと判断しかねています。もちろん「足が水を蹴る」なら問題ありませんが、尾の場合はどうなのでしょう。「鯉<が>尾<で>水を蹴る」なら気にならないのですが…。「さつと水打つ」ではいかがでしょう。
△~〇 冬木立伐られ悔恨なかりけり 永河
【評】精神的なものを感じさせる句です。「冬木立」と「悔恨」という言葉が醸し出すイメージゆえか、19世紀西洋文学的な味わいもあります。ただし、今一つ状況がはっきりわからないため、句の世界にすっと入っていけません。「冬木立」ですから、一本だけではなく、ことによれば十数本まとめて伐られてしまったのでしょうか。「冬木立」のイメージからして、林業のために植樹されている木々とは違いますね。それから、前半は「伐られ」と受動態になっていますが、後半の「悔恨なかりけり」は能動態。前半の主語が「冬木立」であることは間違いないとして、後半の主語は作者自身なのでしょうか。もし、全体の主語が作者なら、前半は「冬木立伐りて」となりますが……。つまり、だれが、なぜ、悔恨なしと思っているのかが不分明で、十分解釈できませんでした。
次回は3月12日にアップの予定です。ご投句をお待ちしております。(河原地英武)