龍谷大学政策学部教授で「憲法9条京都の会」事務局長の奥野恒久さんの解説による憲法朗読第4シリーズの締めくくりは、第ニ章戦争の放棄から第9条です。
朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、動画の再生時間は1分2秒です。引き続き前文はこちらから、第20条はこちらから、第41条・第43条はこちらから、第52条・第53条・第54条はこちらからお聞きください。
《第9条解説》
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」。これは、1945年6月26日にサンフランシスコで調印された国連憲章2条4項です。武力による威嚇と武力の行使を慎まなければならないというのは、日本国憲法9条1項とよく似ているのではないでしょうか。これがグローバルスタンダードなのです。だとすると、日本国憲法9条の独自性は、その2項の「戦力を保持しない」というところにあると言えます。どんなことがあっても戦争はしない、そのために戦力を保持しない、と誓ったのです。
日本国憲法が公布されたのは、1946年11月3日です。国連憲章の調印と日本国憲法公布との間の1945年8月に、原子爆弾が投下され日本は敗戦しています。日本国憲法9条の起草に大きな影響を与えた幣原喜重郎は、1946年8月27日の貴族院本会議にて、近代科学の進歩の勢いの著しさに触れたうえで、「次回の世界戦争は一挙にして人類を木つ葉微塵に粉砕するに至ることを予想せざるをえないであろう」、「実際此の改正案の第9条は戦争の抛棄を宣言し、我が国が世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります」、「文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先づ文明を全滅することになるでありませう」と語っています。
第二次世界大戦が終わって約80年が経ち、科学技術の進歩はすさまじいです。今では、ドローンやAIが兵器としても用いられ、人の手や意思を離れて、殺傷するようになっています。もはや、人間は戦争を制御できなくなるのではないでしょうか。だとすると、どんなことがあっても戦争はしないという憲法9条こそ、現実的な先駆性があるといえるでしょう。
しかし、岸田政権は「安全保障政策の大転換」の一つに「経済安全保障」を位置づけ、軍事に転用可能な技術開発を国が後押しするとともに、軍事産業を支援し武器輸出まで進めようとしています。さらに、そのような技術にかかわる機密を、漏えい者に罰則を科し、関与する研究者等に「適性検査」(セキュリテー・クリアランス)を行ってまで保持することで、優位に立とうというのです。2022年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」には「安全保障と経済成長の好循環を実現する」とありますが、これは戦争を煽って、金儲けをする産業を国が後押しするということではないでしょうか。
戦後日本は、悲惨な戦争の経験を踏まえ、憲法9条の下、「平和国家」という旗を掲げてきました。敵基地攻撃能力を保持し、戦争で金儲けをする国はもはや「平和国家」とは言えません。いま問われているのは、私たちは「平和国家」という旗を降ろしていいのか、ということではないでしょうか。私は若い人と接していて、彼・彼女らがこの国に理想を抱いていないことをしばしば感じます。「平和国家」であることは、戦争を回避するという効用だけでなく、損得利害だけでなく理想を掲げそれに向かうという国民的「自尊」の意識も育んできたと思うのです。
改めて、「どんなことがあっても戦争はしない」と国民的に確認し、「安全保障政策の大転換」をもう一度「転換」しようではありませんか。そのためにも、「平和国家」の旗を降ろしてはいけません。