4月の下旬に台湾へ行きました。第一目的は災害関連の学会参加ですが、第二の目的は防災施設の視察や、1999年に大地震が起こった集集鎮(鎮は台湾の行政区単位)地区へ当時から保存されている建物や断層などの視察です。
さて、台湾訪問中も丑三つ時に台北市で揺れを感じるなど、花蓮では頻繁な地震が続いていますが、今回は1999年の大地震の話です。1999年のこの大地震は、9月21日に起こったので921大地震と呼ばれています。この地震は2400人以上が命を失った、台湾で20世紀に起こった最大の地震だそうです。
台中市にある921地震教育園区(国立自然科学博物館)では、その下を断層が通っていて、崩れた中学校の建物や、大きく動きアスファルトとその上に描かれたラインが大きくずれている地面などが保管してあります。断層が直下にあった校舎は壊れていますが、すぐ隣に立っている小学校校舎は大きく崩れることはなく、今でも使われています。ほんの数十メートルの差で、揺れ方が全く異なったようです。
なお、921大地震は真夜中に起こったので、学校で子どもたちが犠牲になることは無かったとのことで、それだけは良かったと言えることでした。
1999年というと、すでに25年が経過しています。日本では1995年に阪神淡路大震災が起こりましたが、地元の神戸に近い場所に住んでいると、町を歩くとパッと見た感じはすっかり震災の面影はなくなっています。一方、集集の街を歩いてみると、崩れたお寺がそのまま残してあり(新しいお寺の建物が隣に立っているので、お参りには困らない)、25年前の地震の威力を観光しながら知ることもできました。
他に、台北と台中の国の防災センター施設や消防のトレーニング施設を見学しましたが、やはり台湾も地震だけでなく、台風など風水害に見舞われるため、様々な自然災害に備えられる充実した機能を持つ施設でした。
ところで、消防隊員のトレーニングの一つとして、暗闇の中を脱出するという訓練を体験させていただきました。最初に施設の職員さんから『まず、右手か左手で壁を探してください。壁が見つかったら、壁から手を放さず、右手ならずっと右手で壁を伝って歩いてください。歩き続けると、出口に出られます。左右あちこち触ると、出られなくなります。』という注意を英語で聞き(全部聞き取れたわけではないが、たぶんそういうことを言っていたはず)、暗闇のドアの向こうへ…。中に入ると想像以上に真っ暗で、後ろから人が来ているのか、来ていないのかも全く見えず感じず、遠くで一緒に行った人たちの声が時々聞こえる程度で、心細い中必死に右手を壁に沿わせ、時々右手側に隙間があるのを「無理やり入ろうとすべきか、隙間は無視すべきか」と悩みながら進み、階段を上ったり下りたり、想像以上に迷路状態で、「スマホの電気をつけようか・・・反則か?」「出られなくなったら、叫んだらいいんだろうか。何語で叫べばいいんだろう?」などいろんなことを考え、最高に心細い状態で、なんとか出口へたどり着けました。
訓練だとわかっているから、暗闇でも「何かあれば、叫べば助けてもらえる。死ぬことは無い」と思って余裕がありますが(それでも、かなり心細かった)、これが実際に大きく揺れて、電気がつかなくなり真っ暗闇になり、場合によれば煙が出てきた場合、落ち着いて「右手で壁をたどりながら出口を探せ!」ということが実行できるかというと、私は実行できる自信がありません。
懐中電灯や光が付くものを、寝室やリビングなど、夜でも昼でも暗闇になる可能性がある場所には、すぐに手に取れるところに置いて置かないと、恐ろしいことになるということが分かった体験でした。