憲法にどんなことが書いてあるか知ろうと始めた「日本国憲法」の朗読企画の第4弾は、龍谷大学政策学部教授で「憲法9条京都の会」事務局長の奥野恒久さん解説による5回シリーズです。初回は前文を新たな編集でお届けします。前文の最後で「日本国民は全力でこの崇高な理念と目的を達成することを誓う」と謳っています。私達は達成するために全力をあげているでしょうか。その理念と目的とはどんなものでしょうか。今、改めて確認しておきたいと思います。朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、動画の再生時間は3分17秒です。
《前文解説》
日本国憲法の前文について、私が大切だと思うことを記します。
冒頭の一文が、まず大切でしょう。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。「この憲法を確定する」の主語は、天皇でもなければ、国会でもありません。日本国民なのです。憲法という国家の最高法は、主権者である国民が定めたのです。
世界においても、憲法は革命や戦争の後に制定されることが多く、憲法は何らかの歴史的使命や目的を背負って制定されるものです。アジア・太平洋戦争、そして核兵器の被害という凄まじい戦争体験の後に日本国憲法は制定されました。その歴史的使命と目的を明確に示しているのが、前文第2段でしょう。
個人的な話で恐縮です。私が中学校時代を過ごした1980年代前半の大阪府内の公立中学校は荒れていました。暴力がはびこっていました。中学校3年生の私は、腕っぷしに自信はないし、暴力は怖かったのですが、周囲からバカにはされたくなかったのでしょう。「思想」と言えば大げさですが、何か自身の振舞い方の指針というかスタンスを求めていたのだと思います。知識と言えば、憲法9条が戦力を否定していることを知っている程度です。そんな私が、公民の教科書の後ろに載っていた日本国憲法前文の一節に目を止めるのです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一節です。信頼を勝ち得る努力による安全、それは暴力による安全よりも大変かもしれないけれど、暴力の嫌いな者のとるべき道はこれしかないのではないか、それにこの道は正義に適う。こんなことを考え、私は憲法学を志すようになりました。
憲法前文第2段は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とつづきます。平和をただ戦争のない状態としてではなく、独裁的な権力による専制とそれに従わされる隷従、圧をかけいじめる存在、いじめられて押しつぶされそうな存在。植民地主義のような権力的・暴力的な関係を世界から無くしていくことこそが平和であり、平和の維持こそ日本国憲法の使命としたのです。
前文2段は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」で締められます。平和のうちに生存する権利をもっているのは、ウクライナやパレスチナや北朝鮮の人々を含む、「全世界の国民」なのです。日本国民はそのことをちゃんと分っている、というのです。国家に視点をおいた安全保障ではなく、一人ひとりの個人の生命と尊厳に視点をおいているのです。この点を踏まえて戦力を保持しないとした憲法9条2項を読むならば、日本国憲法は「どんなことがあっても戦争はしない」、軍事的な敵国民をつくってはいけない、という憲法でしょう。やはり日本国憲法と軍事同盟は相いれないのです。
いま、この国も世界も理想や希望を見失って暴力的な力を追い求めています。そういう時だからこそ、日本国憲法前文の理想の力を輝かせたいものです。
※次回は5月16日(木)に第20条を公開予定です。