「夏草冬濤」は2月にレビューを書いた井上靖の自伝的小説「しろばんば」の続編です。「しろばんば」で描かれた伊豆の湯ヶ島での小学生時代を終え、沼津の中学に通った頃を綴っていて、中学卒業後を描いた「北の湖」との三部作になっています。「しろばんば」と「北の海」に比べて印象が薄い記憶がありましたが、数十年ぶりに再読すると、その作品世界に魅了されました。ちなみにずっと「なつくさふゆなみ」だと思っていたけれど、表紙に「なつぐさふゆなみ」とルビが打たれてました。
私はアメリカ・モンタナ州の自然やフライフィッシングが美しく描かれた映画「リバー・ランズ・スルー・イット」が大好きなんですが、イギリス人の友人が「boring .nothing happened(退屈だ、何も起こらなかった)」と評していました。この小説を読みながら、その言葉を思い出していました。700ページ以上ある長編小説(長いので、今の文庫は上下巻に分かれてる様です)には田舎の中学生の日常が描かれてるだけで、特に大きな事件は起こりません。洪作が神社の境内の木の中にカバンを隠しておいたら、なくなっていて、後日学校に届けられたとか、徒歩通学の途中で向こうからやって来る女学生の集団に緊張し、凍てついた道で滑って転んでしまって笑われたとか、大半は他愛もないエピソード。でも大正期の少年たちの暮らしぶりや思春期の心情がリアルに伝わって来て、懐かしさと愛おしさで実に心地いい世界です。勿論、大正や昭和初期に子供時代を送った訳ではないので「懐かしさ」は正確でないかも知れませんが、昭和ヒトケタ生まれの亡き母が語った子供時代に重なるのです。
そして心に残るのが、3年半ぶりに湯ヶ島に帰省した時のエピソード。バス(「しろばんば」前半では馬車だったのが、後半バスになりました)から見る天城山や狩野川に感動する一方、自分が住んでいた土蔵は大きく堂々としたものだったはずが、久しぶりに見るとひどく小さくみすぼらしく、田んぼと家の敷地の間を流れる小川もとても貧弱に映ったこと。地元の子供達を連れて山に遊びに行くと、体が大きくなっているせいか以前の様にうまく山滑りが出来ないこと。正月飾りを処分するどんどん焼きの後に焼いて食べるだんごが、子供の頃はあんなにうまいと思ったのに、今は少しもうまく感じられないこと。故郷で年末年始を過ごした洪作は「どんどん焼きの火が何となく侘しく、淋しく見えた。こうして、自分の少年時代は一年一年過ぎ去って行くのかと思った」と書かれています。nothing happenedだけれど、繊細な描写は秀逸だと大人になって改めて思います。余談ですが、登場する祖父や伯父は口調も態度も典型的な家父長としてのそれで、イマドキの「優しいじいじ」とはえらい違いです。今の子はこんな古ぼけた長編小説は読まなかったり、読んでも共感したり郷愁を覚えたりしないんでしょうね。それでも是非読んでほしいなと思っています。(モモ母)
Weekend Review~「夏草冬濤」
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