Weekend Review~「しろばんば」

10代の頃に好きだった井上靖の「しろばんば」を再読したくて何度も探したのですが見当たらず、諦めたもののやはり読みたくて買ったら、出て来ました。昨年買ったのが新潮文庫で、出てきたのが旺文社文庫です。
作者自身の少年時代を描いた自伝的小説ですが、数十年ぶりに読むと洪作少年が伊豆湯ヶ島で血のつながらないおぬい婆さんと土蔵で暮らしていることととんど焼きの場面が出てきたこと以外はすっかり忘れていて、新鮮な気持ちで楽しみました。そしてやっばり好きな作品でした。豊橋に住む両親の家に行ったり、天城山中で椎茸栽培をしている祖父を訪ねたり、おぬい婆ちゃの故郷に出かけたり、受験に備えて教員の家に勉強に行ったり、熊野山で男女の接吻場面を目撃したり。日々の小さなエピソードを重ねて、少年が成長していく様がとても丁寧に描かれています。特に見事なのが洪作の微妙な心の動き。神隠しにあった正吉を見に行こうと幸夫と一緒に遠くの集落まで来てしまい、もう学校が始まる時刻かも知れないし、とっくに始まっているかもしれないけれど、そのことを口に出すのが怖い。上の家のさき子が人目を避けて人力車で出ていくのを見送った後、ふいに説明しがたい悲哀の思いが水のように押し寄せ、大きな声を張り上げて泣きたい様な衝動が全身を貫いたけれど、そうした思いに耐えた洪作は「今夜の自分は泣きはしなかったが、本当は生まれてから今までじゅうで、今夜が一番悲しかったのだと思った」。
冒頭に「その頃、といっても大正四、五年のことで」とあり、大正時代の伊豆の暮らしも見えてきます。豊橋に数日行くというだけで、集落の人達から餞別をもらったり、見送りに来てもらったり。馬車と軽便で沼津に出て、沼津で一泊してから列車に乗る大仕事。子供達は馬車について走り、いくつもの集落を通るたびに子供達の顔つきや風貌が違って、大きな町に近づくにつれて見た目が都会的になったり。台風が来ると村人が入れ替わり土蔵の様子を見にやって来て、おぬい婆さんは作っておいたおむすびを食べていけと言い、「高齢者の地域の見守りが大切」なんてわざわざ言わなくても、ちゃんと目が行き届いていたことがわかります。じゃあ、その頃の様な暮らしに戻りたいかと言うと、そうとも言い難い。川で遊んだり、馬とばしと呼ばれる行事があったり、子供の頃に過ごすのは楽しそうだけど、成人女性が暮らしやすいとは思えない。おぬい婆さんは洪作の曽祖父の妾で、気が強くて言いたいことを言うキャラだからやっていけてそうだけど、やっぱりあれこれ言われた様だし、さき子が教員の中川と噂になったり、肺病を患った為に人目を避けて深夜に家を出ることになったり、同調圧力が煩わしそう。災害時の見守りの目が行き届くということは日ごろの監視の目にさらされることも受け入れないといけない訳で、自然豊かな村落での暮らしは小説の中で楽しむのが良さそうです。(モモ母)

 


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