口数少なく座っちゃいるけど

演劇とは私にとって何か。
そんなことを今さら問いたくなったのは、演劇に興味が失せてきてからだ。臨床心理士の資格を取り、それが誰かの苦しい状況に対して、具体的に「お役に立てる」体験をもつようになってからだ。その具体性に比べれば、演劇など口先だけ、きれいごとだけで成り立つような薄っぺらなものに感じられるようになっていた。
若い女性が、「演劇したい」と訪ねてきた。不運な環境、成育歴、そして厳しい症状に成人後悩んでいるという。弱い声。昔の雑誌に載ってる私のインタビュー記事を持ってきていた。「これ、ほんとのことですか」と。
そこで私は「若き日に、演劇で自分の対人恐怖症を治しました」と語っていた。そんな記事など全く忘れていた。二十歳まで生きられないと思ってた私。症状から自由になれないならさよならしかない、と思い詰めていた。舞台で人目にさらされた状態で演技までできたら、一発逆転、完治だ、ととびこんだ劇団だったけれど、怖くて、裏方にまわり。もたずに、退団。演出したい、脚本書きたい、って嘘ばっかりついて劇団を作って、座長までやった。ほんとは舞台に立つことしか望んでなかったのに。知ってる人のいない土地で舞台をやる企画があった。ほぼ二人芝居、一時間半。舞台の上で恐怖にひきつり、緊張で動けなくなる大恥をかいても、二度とその土地に行かなけりゃいい、と開き直って役者に立候補した。…開演前の暗闇が来て、次の記憶は、終演後の拍手だった。治った、と思った。一気に症状から解放された瞬間になった。…そんなあほな、としか思えない極端なおはなしだ。誇張でしょ。「ほんとですか」と聞きたくなるのも無理はない。私はその女性にこたえた。「……ほんとです。」「私も治りますか。」
はい、とは言えなかった。私は、実際にそれで治したけれど、まさかほかの人には酷じゃないだろうか。演劇の前提に、濃厚な精神分析の読書があったし、思考実験の長い時間やら、無意識を探って書きつぶした何冊かのノートがあって、自死は近いのだから、それまでに「いい芝居」を実現したいというやみくもな焦りがあって、その焦りにつきあってくれる物好きな仲間がいて、対人恐怖症のくせに演劇のためなら仲間と摩擦し衝突し自己主張し交渉もできる極端な芸術至上の思考もあった。偏った自己中の若者だった。そして、こうして自分が悶えうごめくのは単に自己救済ではない、社会変革につらなる小さいが命がけの闘争なのだ、とおおげさに肯定する思想があった。
ここが肝だ。演劇はおたのしみではない。生きる意味を獲得する切実な闘争だった。心理学は頑強な現実社会に屈服して人を適応させる従順な援助の学ではない。現実社会のひずみに苦しむ魂の弱者が己をかえずに己を貫き、現実のほうをこそひっくりかえす不遜な闘争の学だった。
対人恐怖症でよろよろしながらも、胸の奥には自己を肯定する思想が烈しく太っていく、そんなのが演劇活動の日々だった。実はこの自己肯定が太る感覚こそ、心の治癒には特効薬だ。その「自己」とは、世界につらなる「自己」だ。資本主義社会のひずみに圧迫された無辜の民たる「自己」であり、世界転覆を志向する「自己」なのだ。
目前のおとなしそうな若い女性に、そんなへんてこな「自己」を説くなどとても遠かった。症状などどっちでもよくなるほど世界の変革を願ったら、闘ったら、仲間と摩擦したら、症状は消えるのよ。…そんな説教、だれが耳傾けるだろう。私は口数少なく座るしかなかった。
だけど私は今でも世界を変革するためなら演劇しようと思う。世界を変革する闘いとして心理カウンセリングしようと思う。万国の労働者よ団結せよ。万国の演劇青年よ団結せよ。万国のPTSDを病む人よ団結せよ。…まるっきり本気だ。いいんだ。連帯を求めて孤立を恐れずなんだもん。そうやって口数少なく今日も座っている。(劇作家 公認心理士 鈴江俊郎)


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