畑に生きる野草や虫たちの声が実際に耳から聞こえてくるわけではない。でも自分が虫や野草の立場だったらと仮定してものを考えることは、しょっちゅう有る。生存を否定され排除されようとしたら生き延びるために徹底抗戦しようと思うし。生存を認め居場所を与えてくれたら悪さをせず大人しくしておこうかなと思う。「俺の育てた野菜少しやるから大暴れしないでくれよ」「ここに居させてくれるなら少しは、考えてやってもいいぜ。」イメージとしてはこんな感じかな。
第二次世界大戦末期中国北部に潜入した密偵がいる。蒙古人ラマ僧に扮しヤクを伴っての中国東北部からインドまでの旅は非常に興味深い。旅の途中生活物資を背中に積んだヤクがどうしても言う事を聞いてくれなくなった。道から外れ山の斜面を登ぼり逃げようとする。道へ戻そうと力づくで引こうが押そうが叩こうが動いてくれない。そんな時ふと「お前達はもともと野生のヤクでこのあたりで捕えられ人に使われていたが、故郷に帰りたくなったのだな」と。そう思い鼻が千切れそうなほど引っ張っていた手綱を緩めてそうだ。するとどうだろう、テコでも動かなかったヤクが、自分の後を付いて来るようになったというのだ。相手が何であれ相手の身になって考えるという事は、自然の声を聴く一つの方法なのかもしれない。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。