『車掌』というミニコミ誌を35年にわたってつくっています。
同誌は、〝マス”ではない〝ミニ”である。からこその雑誌づくりを目指し、マス誌には到底実現不可能な企画を展開させているミニコミです。
たとえば記憶だけでつくった21号。
メモ・撮影など脳みそ以外のメディアへの記録は一切禁止。資料を参考にするのも×。人間カメラ、人間テープの記憶から取り出した取材データから記事が書かれ、表紙は南伸坊氏の記憶画「キャラクターいろいろ」が飾りました。
また「自由」というウソくさい言葉に嫌気がさして企画した、24号「不自由研究スペシャル」。「研究者」たち(スタッフや一般読者)がそれぞれ、強制的に決められたテーマについて不自由に(拘束を受けながら)研究し、論文を書く、という壮大な企画は、中途脱落者が相次いだうえ、編集も不自由に行うため発行までに8年もの歳月が費やされ、できあがったころ世の中はすっかり変わり、参加した人たちの多くは所在不明、取扱書店はいつのまにかつぶれている、てなありさまでした。
それから、伊藤岳人(スタッフ・会社員)に様々な切り口から迫る23号伊藤岳人シリーズは、第1段、第2段、と出したところで伊藤岳人から「もう僕に迫るのをやめてください」と言われ、第3段「伊藤岳人とすいている」では、伊藤岳人に迫らず、そのかわり執筆者全員が「伊藤岳人」を筆名として「すいている」にまつわる記事を書く、というニセ伊藤岳人だらけの、そして図版用にあけたスペースにあえて図版を入れず空白としたため誌面はすいているけど文字ばかり、そんなできそこないのような号になり、ほとんど売れませんでした。
そんなことに一生を捧げるミニコミ一筋の私の仮の姿は、某大学の非常勤の事務職員。すまして働いていたのですが、不注意からミニコミ女であることが上司にバレ(!)、それをきっかけにこの上司と共編著で本を出す(!)、という意外な展開となり、昨秋その本ができました(!)。
『マイノリティだと思っていたらマジョリティだった件』。
というタイトルのその本。
「自由」というウソくさい言葉、と先述しましたが、最近そこここで多用される「多様性」という言葉もまた私はウソくさく感じていて、そんな気持ちをこめて編集しました。マイナーな、「負」のイメージを持つ属性の、いわば「向こう側」の「可哀想な」人たちが、それぞれの自分史を生き生きと紡ぐ、そんな本です。
本書は、フツウって何? フツウってホントにあるの? あなたはフツウ?と、問いかけます。「向こう側」にいる彼らと、あなたはどこか似ていない? あなたはホンマにマジョリティ?、と問いかけます。
ヒット間違いなし! との期待を裏切り、ミニコミ色が強かったためか(執筆者のほとんどがミニコミを通じての私の知り合い)売れていませんが、読みごたえは十分! ぜひご一読をお勧めします。それにしてもこの変なタイトルの意味は何ねん? と首を傾げられたあなた。最後まで読めばこの意味が氷解するでしょう。
なお『楽しいつづり方教室』という、ミニコミに連載した同タイトルの文章をまとめた本が、1月31日にEテレで紹介されることになりました。はるか昔の本なのですが、お笑いコンビAマッソの加納さんの目に止まったらしく、加納さんが紹介してくださるとのこと。21:30より、「趣味どきっ!読書の森へ 本の道しるべ」という番組です。もしよければ、こちらもご覧いただければ嬉しいです。
このコラムでは、なんの識者でもない私が、生活のなかやまわりで起きていること、それについて感じること、驚いたこと、頭きたこと、感動したこと、なんかをご報告していけたらと思っています。私は東京都の東のすみっこ、葛飾区奥戸、という2本の川に挟まれたゼロメートル地帯に住んでいます。そんな吹き溜まりのような町の風景も、そのなかで伝えて行けたらなと思っています。
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塔島ひろみ<詩人・ミニコミ誌「車掌」編集長>
『ユリイカ』1984年度新鋭詩人。1987年ミニコミ「車掌」創刊。編集長として現在も発行を続ける。著書に『楽しい〔つづり方〕教室』(出版研)『鈴木の人』(洋泉社)など。東京大学大学院経済学研究科にて非常勤で事務職を務める。