今年も1月17日を過ごしました。あれから28年、激しい揺れを体験したものの、大きな被害にはならなかった場所に住んでいた私も、何とも言えない気持ちの一日でした。
阪神淡路大震災だけでなく、さまざまな辛く厳しい出来事を後世に伝えていくことは、大切なことです。しかし、30年ほどたつと、もうその出来事は過去のものとなり、継承が難しくなるようです。「30年限界説」と言われるのだとか。
先日の神戸新聞に関係する記事があったので、ご覧ください。
2023/1/13 05:30神戸新聞NEXT
防災教育の現在地(下)継承 「30年限界説」越えるしかない
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202301/0015960848.shtml
さて、災害が起こり、人の暮らしに被害があったことを、それを経験していない人たちへ伝えることで、「それは怖いな、備えないといけないな」と考える機会につながります。私たちは、知らないことや想像が及ばないことには、備えられません。まずは、知ることが大切です。
私はこれまでに5年ほど、避難に支援が必要な方たちへの支援について、福祉と防災の活動をつなぐことに取り組んでいますが、そこでも、これまでに起こった災害に関して振り返る機会を持っています。のど元過ぎれば・・・といいますが、私たちはこれまでに何度か猛烈な台風に見舞われたり、バケツどころかタライをひっくり返したような大雨に見舞われたり、ひやっとする経験はいくらかはあるのではないかと思います。その時には、それなりに対応するのですが、やはり、その時が過ぎると、気持ちがのんびりモードにもどりがちです。そんな状況を、もう一度危機感に目を向けてもらい、まずは自分の備えをすすめ、その中で逃げにくい人たちへの支援のことも考えていただきたいと思い、活動を続けています。
阪神淡路大震災から28年。もうすぐ30年。ほかにも、さまざまな災害がおこっています。風水害はいくらか予測ができますが、地震は本当に突然やってきます。その時、寝ているのか起きているのか、家にいるのか外にいるのか、わかりません。お風呂に入っている最中かもしれません、ジョギングに出かけている最中かもしれません。
私たちが、過去の災害を知って行うべきことは、「それが、また、今、起こったらどうなるだろう?どのように行動すべきだろう?」を考えることだと、私は思います。それを、生活のさまざまな場面で、考えるのです。
お風呂の中で揺れを感じたら…閉じ込められないようにドアを開け、揺れがおさまったら・・・
ジョギング中に揺れを感じたら…安全なところに身を寄せ、揺れがおさまったら・・・
寝ているときに揺れを感じたら…その前に、頭の上に物が落ちてこないように片付けておかないと。懐中電灯と靴を近くに置いておこう。…そして揺れを感じたら・・・
電車の中で、自転車に乗っているときに、車の中で、教室の中で、仕事先で、訪問中に・・・私たちが、その時その時に取るべき適切な行動は、どのようなものなのでしょう?
おそらく、一つだけの正解を導き出せるものではありません。しかし、日ごろから想像してみることは、いざというときに、きっと冷静に考える役に立つはずです。
私たちは、例えば1月17日だけに出来事を思い出すのではなく、日々、あの日の出来事が私たちに教えようとしていることを想像し、考え、自分の行動につなげていくことが大切だと思います。
誰一人取り残さない社会を実現するために。