競技スポーツ化させられる学びと育ち(3)

前回の記事に続いて、今回は子ども達の学びがどう管理されているのかという問題を取り上げます。子どもの学びを評価する方法はいくつかありますが、何より有名(?)なのはテストです。多くのテストは1点刻みで点数がつき、全生徒を序列化することができます(スピードを競う競技みたいですね)。
学習を評価する方法として、テストにはメリットとデメリットがあります。手軽に実施でき、歴史も古く、実践と研究の蓄積も十分にあります(テスト学会という学会もあります)。デメリットは、(1)測定したい学力等が脱文脈化されること(テストの点数は高いけれども実践ができない人もいますね)、(2)テスト不安などのために実力を出せない人が出ること、(3)テストのあり方が学びを歪める場合があること、などを挙げることができます。
近年の日本の学校に関しては、全国一斉学力テストの問題をカナリア倶楽部でも何度も取り上げてきました。残念ながら状況は良くならないどころか、悪影響が広がり続けているように思います。大阪での学力テストの使い方が酷いという話は有名ですが、大阪だけにとどまりません。私の地元でも、小学校5年生の終盤から「テストを受ける練習」をさせているそうです(総合教育会議の議事録をみて、愕然としました)。


東京もテストの回数が多いようですね。


最近こちらの本を読んだのですが、全国一斉学力テストの点数の高低の背景等を分析して報告するように求める問い合わせが、教育行政から学校に対して頻繁に来ることなどが書いてあり、「学校が全国一斉学力テストの平均点を、過剰に気にするようになるのも仕方ないかもしれない」と思いました。


また少し別の観点として、授業スタンダードというものがあります。これは授業の仕方や子どもたちの学び方についての「型」のようなものを、研修などで教員に教え込んで、それを実践することを求めていくというものです。


こちらの本を読むと、昨今は教科書に「学ぶ内容」だけではなく、「どう学ぶか」、「どう授業をするか」が書いてあることがあるそうで、さすがにやりすぎではないかと思ったりします。「教科書と使って学ぶ」のではなく、「教科書に従う」になってしまいます。


このようにして画一化が進められる仕組みとしてあるのは、やはりテストなのだろうと思います。昨今はそこにICT化も加わります。テストもICTも「画一的なもの」を扱うことが得意です。しかし、テストもICTも手段であって目的ではないのですから、テストやICTに合わせて学びを画一化すること(競技スポーツのように扱って子どもたちを競争させること)は本末転倒だと思います。
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西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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