前回の記事に続いて、今回は子ども達の学びがどう管理されているのかという問題を取り上げます。子どもの学びを評価する方法はいくつかありますが、何より有名(?)なのはテストです。多くのテストは1点刻みで点数がつき、全生徒を序列化することができます(スピードを競う競技みたいですね)。
学習を評価する方法として、テストにはメリットとデメリットがあります。手軽に実施でき、歴史も古く、実践と研究の蓄積も十分にあります(テスト学会という学会もあります)。デメリットは、(1)測定したい学力等が脱文脈化されること(テストの点数は高いけれども実践ができない人もいますね)、(2)テスト不安などのために実力を出せない人が出ること、(3)テストのあり方が学びを歪める場合があること、などを挙げることができます。
近年の日本の学校に関しては、全国一斉学力テストの問題をカナリア倶楽部でも何度も取り上げてきました。残念ながら状況は良くならないどころか、悪影響が広がり続けているように思います。大阪での学力テストの使い方が酷いという話は有名ですが、大阪だけにとどまりません。私の地元でも、小学校5年生の終盤から「テストを受ける練習」をさせているそうです(総合教育会議の議事録をみて、愕然としました)。
「「むかし教員は、全国一斉学力テストの直前に学校で行う試験対策を『ドーピング』と揶揄したものだが、今はまるで『シャブ漬け』状態だ」 …もし、全国学力調査がその名の通り「調査」なら、毎年60億円以上の税金をかけて全員参加形式で行う必要はない。抽出式で十分精度の高い調査はできる」
— 本田由紀 (@hahaguma) February 27, 2019
学校の予算を子どものテスト結果で査定⁉️
おかしくない?
という疑問から、大阪の保護者たちが、学校と先生を応援する動画つくってみた。「2019-2020 #ゆるーくつながった保護者たち@大阪 総集編」その①
出演約60名。
拡散・ご感想募集📣フル動画視聴はYoutubeで:https://t.co/ZKeVh73qcU pic.twitter.com/JpBSUBiz4C
— ゆるーくつながった保護者たち@大阪 (@yuruhogo) December 17, 2019
【拡散希望】#ゆる~くつながった保護者たち の動画第二弾できました。一緒に考えてほしくて…今度は踊ってみた!
「あのなぁ私なぁゆうたろか 大阪市の学校な テストの結果で学校の予算が変わってくるんやて そしたらこれから学校は テスト一色になんのかな なんでやろ おかしいなぁ」 pic.twitter.com/U8BHCRZRDK— ゆるーくつながった保護者たち@大阪 (@yuruhogo) June 6, 2019
沖縄の例も少し話しました。抽出調査にすればよいだけのことなんですがね…。テストの点数upに尽力した行政側の方の一言(本当はこんな競争的なテストはやめてほしい。けれどやるからには子どもたちに、『きみたちは最下位ではない』ということを見せてあげたい)が複雑です。https://t.co/xiai0W2fsG
— 市民・学生のための大学評価論2021 (@Nishigaki2017) October 7, 2021
東京もテストの回数が多いようですね。
○都立高校に一年半行ったが、11教科でテスト年6回。数字で人を判断する。きの高は年2回で教科書持ち込みOK
○かわいいから、なぜ男子の制服はリボンつけられないですかときくと、普通はつけないと先生は言った。
普通って何?
そして、きの高へ。
○僕は教育に傷つけられ教育に救われた。— 桜井智恵子 Chieko Sakurai (@chie_sak) February 23, 2022
最近こちらの本を読んだのですが、全国一斉学力テストの点数の高低の背景等を分析して報告するように求める問い合わせが、教育行政から学校に対して頻繁に来ることなどが書いてあり、「学校が全国一斉学力テストの平均点を、過剰に気にするようになるのも仕方ないかもしれない」と思いました。
【新刊】『子どもの貧困と地域の連携・協働―〈学校とのつながり〉から考える支援』(吉住隆弘、川口洋誉、鈴木晶子編著・本体価格2,700円+税) ★〈学校とのつながり〉をキーワードに、子どもの貧困問題における専門職・行政・地域と学校との連携・協働について考える。 https://t.co/oJtqBb5Z0D
— 明石書店 (@akashishoten) November 22, 2019
また少し別の観点として、授業スタンダードというものがあります。これは授業の仕方や子どもたちの学び方についての「型」のようなものを、研修などで教員に教え込んで、それを実践することを求めていくというものです。
⇩苫野ゼミを卒業した新卒先生たちから聞いた話。多くの自治体や学校で、授業の「スタンダード」化が進む昨今、朝の会や帰りの会でさえ、そのやり方を上から決められてしまい、サークル対話をすることさえできないと。がんばれ卒業生。そんな時こそ、先生たち同士でたっぷり対話したいね。
— 苫野一徳 (@ittokutomano) May 6, 2018
こちらの本を読むと、昨今は教科書に「学ぶ内容」だけではなく、「どう学ぶか」、「どう授業をするか」が書いてあることがあるそうで、さすがにやりすぎではないかと思ったりします。「教科書と使って学ぶ」のではなく、「教科書に従う」になってしまいます。
'21/9刊行→子安潤著『画一化する授業からの自律:スタンダード化・ICT化を超えて』#教育 の #画一化 が、#スタンダート化、そして #コロナ禍 による急速な #学校 の #ICT化 の下で拡大する事態に警鐘を鳴らす。#デジタル化 の進む社会に緊急提言。#授業https://t.co/PoGdof2sFf
— 学文社 (@gakubunsha1957) February 28, 2022
このようにして画一化が進められる仕組みとしてあるのは、やはりテストなのだろうと思います。昨今はそこにICT化も加わります。テストもICTも「画一的なもの」を扱うことが得意です。しかし、テストもICTも手段であって目的ではないのですから、テストやICTに合わせて学びを画一化すること(競技スポーツのように扱って子どもたちを競争させること)は本末転倒だと思います。
———–