しかし、父も私もどちらも一所懸命に野菜作りの事を考えているからこその対立だったように思う。少しづつお互い歩み寄ってもいた。有機肥料を使って土作りを考えるようになったし、私も綺麗な野菜でないと市場では評価されないという事も理解できた。元青年部の先輩の中に農業に熱心な人が何人かいた。有機農業には全く興味は無いが、中央市場の競りではいつもトップレベルにいる人達だ。そんな人が、身近にいると競争心が煽られる。父の野菜も高い評価を受けていたので、私が加わる事で一目置かれる存在に成りたい。そんな気持ちも芽生えてきて父の下一生懸命働いた。
ある時、父が殺虫剤の散布中タンクから漏れた液が背中からお尻の方へと伝っていた。翌日父の背中はかぶれ、お尻は、草鞋の様になって体調を壊してしまった。さすがに父も怖いと思った様だ。そんな折畑の一角で無農薬の野菜作りをさせて貰えないかと頼んでみた。本で読んだ知識に頼りに夏野菜を混植の放任栽培で育ててみた。初めての土地で野菜は元気に育ったが、問題も浮き彫りになって来た。放任栽培では、野菜の成長と共に畑の中に入れなくなって来た。収穫した野菜の売り方が分からない。軒先販売では、ほとんど売れなかった。余った野菜は、友人、知人御近所に配った。販売に繋がるかと淡い期待を込めたが、大半が喜んでもらうだけで終わった。思い付きと やる気と 体力任せの徒歩の旅とは、根本的に違った。放任栽培の夏野菜は、収穫も大変だし片付けるのも一苦労だった。また母に苦労を掛けてしまった。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。