Weekend Review~「稚くて愛を知らず」

「稚くて愛を知らず」は高校時代、イラッとしつつもまた読んでしまう一冊でした。“イヤミス”小説(ミステリーではありませんが)の元祖か、という感じです。嫌なくせに、書籍断捨離の際には本棚に残してしまう作品なんですね。ご紹介しておいてなんですが、あらすじだけではあまりそそられない内容なのですが、実際に読むと“気色悪さ”に引き込まれるというのが私の感想です。
物語は昭和12年に主人公・野村友紀子が生まれたところから始まり、時代背景は戦前から戦後にかけて、だれもが激動の日本をなんとか懸命に生き抜いていくとき、のお話です。
滋賀県のとある個人病院で生まれた友紀子は、幼いころから色白で愛らしく、両親の愛情をたっぷり浴び、べたべたに溺愛されて育ちます。人間の負の部分を避け、人を疑うことを知らない清らかな女性である反面、欲望や人(他者)に愛情をかける、思いやるという感情も育つことなく、与えられることだけに満足し、ただただ受け身の生き方のみで成長していきます。しかし人はまったくの穢れなしに、苦労なしに人生をまっとうできるものではありませんし、徹底した受け身の生き方は、親の決めた結婚という人生の節目で初めて彼女自身を大きく揺るがします。
親の勧められるままに結婚したものの、結婚生活のことも子どもを産むという意味も無理解のまま、そして慣れようとか、または前向きにとらえようとするのではなく、ただただ苦痛から逃げる道しか選択しない友紀子。そんな夫婦に幸福感などみじんも漂いません。自分の好む美しいものに囲まれ、だれに気を使うことなく、自分の世界に存分にひたれることが友紀子の心がやすらぐ生き方であり、現実に「生きていく」ことにどこにも通じない姿勢―――。
最後に友紀子はわが子の死を機に、夫からの離縁に即座に応じて実家に戻ります。病院は弟が継いでおり、居場所のない友紀子は離れでひとり細々と過ごします。ときおり訪ねてくれる明るい弟の嫁は生まれたばかりのわが子を幸せそうに抱き、さらにもっと家族を増やしたいと生き生きと話します。そんな姿に友紀子は初めて羨望という感情を抱き、自分自身に欠けていたものの大きいことを気づきます。弟の策略で無理やり病院を手伝わされることになった友紀子が、ひっきりなしに来院する患者たちをぼんやりと見ながら、自分もまた一生、退院のできない患者の一人なのだと思うところで終わり。彼女は大きな幸福感を感じることもない代わりに、この現状を不幸でみじめだという感情もそれほどない。それが唯一、天の恵みであると締めくくられます。
不愉快というか、もやもやしたもの残されて、でもなぜかそれに時折、触れたくなる「稚くて愛を知らず」。石川達三って、ある意味すごい!と思います。
両親の愛情を一身に受け、そのことだけでずっと人生は流れていくと思っていた主人公の女性。そんなふうに育てた親の姿勢も問われるところですが、女学校などそれなりに集団の中で生活することも体験しながら、人形やきらびやかな着物にのみ関心が注がれ、他者へ向ける「愛情」というものがまったく湧き立たない人間の哀しさは滑稽でしかない。
今どき、こんな女性はいないだろうとは思うのですが、受け身でいることに安堵し、安定を何より良しとする人は男女問わず現代でもいるはずです。私は受け身はイコール悪だとはけっして思っていません。友紀子ほどの徹底した自立精神に欠けた生き方も見方によれば、突き抜けて「良し」という人生なのかもしれません。出過ぎた杭は打たれない、みたいな。(ふるさとかえる)


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