この秋はいつまでも暑くてかなわないと思っていたら、一昨日あたりから肌寒くなりびっくり。秋の歩みが急速に早まったようです。紅葉の見頃はこれから。今しか詠めないものをしっかりと句に定着させたいものですね。
○栗おこは炊き立てを娘に持たせたり 千代子
【評】おおむね結構ですが、「栗おこは」のあと少し切れが入ってしまう点が惜しい気がします。「炊き立ての栗おこは娘(こ)に持たせやる」でいかがでしょう。
◎藁つけて落穂つつけり群雀 千代子
【評】「藁つけて」としっかり描写したところが非常によいと思います。群雀のひたむきな様子が見えてきました。
○声落とす晩烏に律の調かな 恵子
【評】雅楽には「呂」と「律」と呼ばれる二つの音階があるのだそうで、そこから「呂律が回らない」という成語ができたとか。「呂」の調べは春を思わせる「陽」、「律」の調べは秋を思わせる「陰」であることから、俳句では「律(りち)の調べ」を「秋らしい趣」の意の季語、「律の風」を「秋らしい風」の意の季語とするようになりました。夕暮れ時、ねぐらに帰るカラスの声はいかにも秋のわびしさを感じさせます。少々調べてみましたが「晩烏」という語が見当たりません。「晩鴉(ばんあ)」でいかがでしょう。
△家並へと沈む金星律の風 恵子
【評】太陽や月のように大きな天体ですと「沈む」という実感がありますが、金星の場合、今一つぴんときませんでした。また、金星と秋らしい風の取り合わせも何かアンバランスな気がします。
◎みはるかす吉良の領地や豊の秋 ひろ
【評】いわゆる「国褒め」の句ですね。吉良氏に対する親近感が感じられ、目出度い雰囲気も伝わってきて大変結構と思います。
◎一学の墓に色なき風吹けり ひろ
【評】ウィキペディアによれば「清水一学は、元禄時代の武士。忠臣蔵における赤穂浪士討ち入りの際に討ち死にしている」とのこと。一抹の寂しさをおぼえる秋の季語「色なき風」がぴたりと決まっていますね。
△~○古稀二人今を惜しみて秋の空 美春
【評】そもそも俳句とは「今、この瞬間を惜しんで詠む文芸」のこと。つまり中七は、すべての俳句に当てはまる措辞です。「古稀二人秋の青空見て飽かず」でどうでしょう。
○こもれびや赤とんぼ群るビオトープ 美春
【評】きれいな調べの句です。「こもれび」と「ビオトープ」のどちらか一方に絞ると、情景がより明確になるように思います。ちなみに某俳人が、「『木洩れ日』を使った句に名句なし」と言っていました。この美しく優しい言葉にもたれ、甘い作品になってしまうからだそうです。その言に触れて以来、わたし自身は「木洩れ日」を封印しています。
△~○桃吹くや三河木綿の暖簾揺る マユミ
【評】「桃吹く」とは、形が桃に似ている綿の実が裂けて、なかの綿が吹くこと。面白い季語です。木綿も綿花を紡いで織るのでしたね。とすると、季語とつき過ぎかもしれません。もっと情景が見えてくる季語がありそうな気がします。
△寺の池擦るるとなめの赤蜻蛉 マユミ
【評】あれは池に卵を産み付けているのでしょうか、よく見かける光景ですね。その点では新鮮な発見とは言えません。また「寺」である必要もないのではと思いました。俳句に「寺」を入れると風流な感じがしますが、どうしても陳腐になります。
△行間へ書き込むルビや夜長の灯 音羽
【評】大概ルビは行間に書き込むものですね。それより、どんな書物にルビを書き入れているのか示してほしいと思います。また、「ルビや」ではルビに感動している句になってしまいます。「経典にルビ書き込めり夜長の灯」などもう少し推敲してみてください。
△口開けて釣瓶落しの歯科寝椅子 音羽
【評】冒険句ですが、ちょっと無理を感じました。われわれは俳句を目で見て理解することに慣れていますが、耳で聞いてわかるように作らなくてはなりません。誰かが「シカネイス」と言ったら、すぐに「歯科寝椅子」だとかわる人はどれほどいるでしょう。季語「釣瓶落し」も歯科医院の治療室のなかでは実感にとぼしいように思われます。もちろん窓から眺めた景だろうと推察はしますが。
△水甕に枝垂るる柿の朱が映り ゆき
【評】美しい情景ですが、全体的に言葉数が多いと言いますか、説明調です。さらに、柿が朱色であるのは自明ですし、それを映しているのは水甕自体ではなく、水甕の水ですね。「火の如く柿映しけり甕の水」などもう一工夫したいところです。
△姉夫婦頷き合ふや菊膾 ゆき
【評】作者には一句の背景事情がよくわかっているわけですが、読者はこの句以外のことはわかりません。この句を読むと、作者の前で、まるで作者の存在を無視するかのように、姉夫婦が二人だけでうなずき合っているという不可解な場面を連想します。菊膾の味に納得してのことだろうとは思いますが・・・・・・。
○瓜実のおんぶばったは高僧似 智代
【評】まず、おんぶバッタが瓜実顔だというのが愉快ですし、それが高僧に似ているというのも非凡な発想です。わかる者だけがわかればよい、という句ですね。わたしはわかった気がします。「ばった」の「っ」は大きく書き、「ばつた」としてください。平仮名表記の「つ」は例外なく、常に大きく書く、と覚えてください。
△点滴の音なき雫秋の声 智代
【評】「音」と「声」は関連する言葉です。一句のなかで似た語を用いることが効果を上げることはありますが、この句の場合は作為ばかりが目立ちます。「音はないけれど、秋の声がする」と禅問答風に仕立てるのでなく、もう少し素直に詠みましょう。季語次第でもっと余情のある句になると思います。
○歯みがきのチューブのへこみ秋深し 妙好
【評】日常生活のなかから詩情を引き出そうとしたユニークな作品です。季語の選び方が難しいところですが、「秋深し」は妙好さんの実感に即したものですから、これで結構でしょう。ご参考までにわたしの感覚で作ると、もう少し漢字を増やしてごつごつした感じを出し、「歯磨きのチューブの凹み冬近し」となるでしょうか。
○父の影踏み行く幼秋没日 妙好
【評】詩情豊かな句ですね。「秋没日」ですと、日没ですからほの暗く、「影」も薄れてしまうように思われます。「父の影踏み行く幼秋夕焼」でどうでしょう。
○山肌にソーラーパネル秋の虹 織美
【評】山肌のソーラーパネルは壮観かもしれませんね。雨が止み、虹が立って、ソーラーパネルも再稼働といったところでしょうか。清々しい情景を思い浮かべました。
○白湯すする静かな朝や秋深む 織美
【評】「朝」も「秋深む」も時を示す語ですので、それを並べるのは今一つ。この場合は「時候」以外の季語を選ぶとよいでしょう(さもなければ「秋の朝」とする手もあります)。たとえば虫の声を置き、「白湯すする静かな朝や草雲雀」などとするのも一法です。
〇秋果盛る取り取りの色余さずに 徒歩
【評】心楽しくなる句です。果物屋さんの風景でしょうか。そのへんがもう少しはっきりするとさらによくなる気がします。あるいは画家のことにして「秋果描く取り取りの色余さずに」とする手もありますね。
○~◎黄落や八卦見に声かけられて 徒歩
【評】俳諧のある句です。八卦見からすれば営業上のことなのでしょうが、こちらは「何かよくない相でも出ているのか」とつい不安になりますよね。下五をもう少しだけ引き締めて「かけらるる」でいかがでしょう。
◎木犀は散りて金砂となりにけり 万亀子
【評】木犀には金木犀と銀木犀がありますが、これはもちろん前者。この花の散ったあとまで詠んだ例はほとんどないように思います。その点でもユニークですが、「金砂」が言い得て妙で、風格を感じさせる作品です。
◎フェアウェイ横切る鹿の尻白し 万亀子
【評】フェアウェイとは芝が短く刈られたゴルフコースのこと。そこを鹿が横切っていくとは面白い。尻の白さに焦点を絞り、印象鮮明な句となりました。
△~○完熟のいちじく母に朝の膳 多喜
【評】おそらくお母さんは介護が必要とされる状態なのでしょうね。完熟の無花果をどのような形で膳に添えたのでしょう。「完熟」や「朝の膳」の代わりに、無花果そのものの写生を深めると、さらに個性的な句になると思います。
◎深煎りの珈琲淹るや十三夜 多喜
【評】深煎りの珈琲が静かな夜更けのイメージと重なります。作者のおだやかな心境と、十三夜ならではのもの寂びた感じがよく表れています。昨日が十三夜でしたね。
△鶺鴒の弾む川瀬や水切りす くり子
【評】鶺鴒と川の取合せはあまり珍しくありません。「弾む」という写生も一般的。それと、むろん鶺鴒を避けて石を投げているのは承知していますが、それでも彼らの生息圏に石を投げる行為自体がどうなのでしょう・・・・・・。
○簗の簀にかかりしままの虚栗 くり子
【評】虚栗(みなしぐり)とは殻ばかりで、中に実のない栗のこと。芭蕉が跋を書いた、其角最初の俳諧撰集の題名ともなっているように、俳味のある季語です。きっとくり子さんは通りかかるたび、ついこの虚栗に目が行ってしまうのでしょうね。「かかりしままや」と切れを入れると、一句に張りが出るように思います。
△秋鯖を酢で締め一品一人酌む 慶喜
【評】中七が字余りになっていませんか。俳句は「引き算の美学」を追求する文芸です。もっと言葉を減らし、余韻をもたせましょう。「秋鯖の酢締め小皿に独酌す」など。
△~○飲み会に秋刀魚を焼ひてオンライン 慶喜
【評】まさに現代の句ですね。「飲み会」と「オンライン」はワンセットですので近づけて置きましょう。とりあえず「焼き秋刀魚据え飲み会はオンライン」としてみました。なお、「焼ひて」は間違い。「焼きて」のイ音便ですから「焼いて」が正しい形です。
◎朝寒や祠の扉少し開く 永河
【評】作者が自分の思いを述べたり、何かを説明したりせず、事実のみを差し出すことによって、読者は自由に鑑賞する余地を与えられます。常々それが俳句のよさだと感じていますが、これはそのよさを改めて教えてくれる作品です。祠の扉が少し開いているのを怪異と結びつけた子供時分の感情が甦り、鼓動が高まりました。季語も効いています。
○朝寒の肩をすくめる粉薬 永河
【評】粉薬は持病で飲んでいる薬なのでしょうね。わたしも朝と晩に欠かしません。肩をすくめる動作が少し侘しくて、いかにも朝寒を思わせます。中七で切れがあるとさらによい気がします。とりあえず「朝寒の肩やや竦め粉薬」としておきます。
○オカリナの聞こゆる土手や草の絮 あみか
【評】オカリナの音色は秋に合いますね。「聞こゆる」だと奏者は見えない意味にとれてしまいますが、いかに大きな河原でも、音のする方に吹いている人の姿はあるはずですので、そのへんは曖昧にし、「オカリナの響く河畔や草の絮」くらいでどうでしょう。
◎束子買うて釣瓶落としの木屋町へ あみか
【評】少々宣伝しますと、京都・三条大橋の近くに束子・箒の老舗「桔梗利 内藤商店」があります。開業は1818年とか。あみかさんは地元の方ですので、ときたま買いに行かれるのでしょうね。上五はあえて字余りにしたものと思われます。古風な表現が効果的で、しかもこの字余りのせいで、中七を読むペースが速まり、釣瓶落しの雰囲気が強調されることになりました。生活感のある秀句と思います。俳句では「釣瓶落し」と表記するのが一般的です。
次回は11月9日(火)の掲載となります。前日(8日)の午後6時までにご投句いただけると幸いです。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。