かわらじ先生の国際講座~今年のノーベル平和賞

今年のノーベル平和賞は、フィリピンとロシアのジャーナリストに授与されることが決まりました。1人はマリア・レッサ氏。フィリピンのオンラインメディア「ラップラー」のCEOとして調査報道を指揮し、ドゥテルテ政権の人命を軽視した麻薬対策など、その強権政治を一貫して厳しく批判してきました。
もう1人はロシアの独立系新聞『ノーバヤ・ガゼータ』(「新しい新聞」の意)編集長ドミトリー・ムラトフ氏。リベラルな論調を堅持し、プーチン政権の人権侵害や腐敗、選挙不正などを追及しています。この2人の受賞についてどう考えますか?

度重なる弾圧に屈せず、反権力報道を続けるジャーナリストの勇気が評価されたことの意義は非常に大きいと思います。特に2つの観点から、その意義を述べたいと思います。第1点は、ノーベル平和賞が「報道」にスポットを当てたことです。ジャーナリズム活動へのノーベル平和賞の授与は、第二次世界大戦後初めてです。すなわち1935年、ナチスドイツのヒトラー政権から弾圧を受けたドイツ人ジャーナリストのオシエツキー氏以来となります(『京都新聞』2021年10月9日)。これが意味することは何でしょう。いまやナチス時代以来の言論弾圧の危機が迫っていると、ノルウェーのノーベル賞委員会が判断したということです。わたしはこの認識に賛同します。フィリピンやロシアだけの問題ではありません。毎日のように新聞記事で見かける中国や北朝鮮、アフガニスタンにおける報道統制はもとより、途上国と先進国とを問わず、言論・表現の自由度がどんどん狭められている現実に対する警鐘として、今回のノーベル平和賞を受け止めたいと思います。

では、もう1点は何でしょう?

この賞が団体ではなく、ジャーナリスト個人に授けられたことです。言論・表現の自由を監視し、民主主義を擁護する団体は数多くあります。たとえばパリに本部を置く「国境なき記者団」も十分に授賞の対象になり得たでしょう。しかしノーベル賞委員会はあえて顔の見える個人を選びました。「報道の自由」「表現の自由」は生身の人間が、それこそ命がけで闘いながら守り抜いていることに注意を喚起したかったのでしょう。

そのへんをもう少し詳しく説明してもらえませんか?

レッサ氏自身、現政権下で少なくとも2度逮捕され、政権攻撃への報復と思われる容疑で「名誉毀損」による有罪判決、「脱税」でも追訴を受けています。ムラトフ氏が率いる『ノーバヤ・ガゼータ』も、15年前に暗殺されたポリトコフスカヤ女史など、政権批判報道の第一線に立っていた6名の記者や関係者が殺害もしくは不審死をとげています。「国境なき記者団」の調べによれば、過去10年間に世界で殺害されたジャーナリストの数は937名にのぼるそうです(『朝日新聞』2021年10月9日)。強権政治と戦うジャーナリストたちはまさに「戦士」のように命を危険にさらしつつ、取材と執筆と報道に従事しているのです。今回の受賞者である2人はいわば、その代表です。ノーベル賞委員会も、この授賞は「逆境に直面する民主主義と報道の自由のために働くすべての記者たちに向けたものだ」と強調しています。つまりこうした記者やジャーナリストたち一人一人を鼓舞し、勇気づけることが目的だったといえます。
さらにレイスアンデルセン委員長は、「表現の自由はいまや絶滅危惧種となった」と危機感をあらわにしています。われわれはこの言葉を重く受け止めなくてはならないと感じます。民主主義国家は安泰だと、対岸の火事のように油断していると大変なことになりかねません。専制主義の国ほど露骨でないだけに、民主主義体制下における報道・表現の自由の浸食は不気味です。

しかし民主主義国では、法的にも制度的にも報道や表現の自由は守られているのではありませんか?

法や制度はあくまでも枠組みにすぎません。それをどう運用するかが大事です。独裁者にかぎらず、一般に強大な権力を有する者は不都合な事実を隠そうとし、それを暴くような報道を規制する方向に動くものです。国民が安閑としていれば、為政者は法や制度を自分たちの都合がいいように解釈し、運用するでしょう。また、「サイバーテロ」や「フェイクニュース」などを口実に、情報管理を強化し、報道に制限を設けることもできます。
為政者や政治家が本当に恐れるのはジャーナリストではなく、国民です。彼らは国民の支持によってその権力を得ているからです。その国民がジャーナリストを軽視すれば、ジャーナリストはいくら真実を暴き出そうが、権力者によってつぶされてしまうでしょう。
9月21日、麻生財務相(当時)が閣議後の記者会見で、森友問題の再調査を改めて否定し、前政権時代のことに「読者の関心があるのかねえ」と言い放ったことはメディアでも報じられましたが、これは国民を完全に見くびった発言でした。

マスコミがいくら政治家を追及しようが、国民に関心がなければ、彼らは平気なのです。真実を求める記者やジャーナリストを孤立させてはなりません。制度だけでは彼らの報道の自由は守れません。国民の報道に対する持続的な関心と、為政者に対する厳しい目こそが公正な報道を支えているのです。

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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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