かわらじ先生の国際講座~イランはどこへ向かうのか?!

イランでは6月に大統領選挙が行われ、「反米・保守強硬派」とされるエブラヒム・ライシ司法長官が圧倒的な大差で当選し、8月3日に正式就任しました。

ライシ新大統領はどのような人物なのでしょうか?

まず彼が黒いターバンを頭に巻いていることに注目してください。これはイスラム教の預言者ムハンマドの血筋を引くイスラム法学者であることを示しており、ごく限られた者しか着用が許されません。初代最高指導者のホメイニ師、第二代最高指導者のハメネイ師と同様ですね。ロウハニ前大統領は白いターバンでした。つまりライシ大統領は、いずれハメネイ師から最高指導者の座を譲り受けることが見越されているのでしょう。
イランは政教一致の国家です。そして宗教権威者である最高指導者が大統領の上に君臨し、政策の決定権を握っています。現最高指導者のハメネイ師は82歳の高齢ですから、60歳のライシ大統領を後継者にしたいと考えているように思われます。
ライシ大統領は若いころ、イランの聖都コムで神学を修め、ハメネイ師の薫陶を受けました。その後、司法関係の役職を歴任し、2019年から司法長官を務めていました。政治面での実績はありませんが、ハメネイ師に絶対的忠誠を誓い、思想弾圧や政治犯の処刑を推進する中心人物として知られ、ロウハニ前大統領の穏健路線をがらりと変えるのではないかとの憶測もあります。

国内的には強権政治、対外的には反米・強硬路線をとるということでしょうか?

はい。ロウハニ前政権時代の2015年には、イランと6ヵ国(米・英、仏・独・露・中)による核合意が成立し、イランの核開発が大幅に制限され、その見返りとしてイランは、原油輸出や金融取引を対象にした制裁措置の解除を勝ち得たのです。これはイランの国際協調路線の表れだと評価され、現にイラン国内でも一定の民主化と自由化が進みました。
しかしイラン政権内部では路線対立が先鋭化し、特に米国のトランプ政権が2018年に核合意から離脱したことから一気に反米・保守強硬派が力を得て、核開発を加速化させ今日に至っています。

とすると、イランはこのまま核保有への道を突き進むのでしょうか?

その点は米国の政策によるところも大きいでしょう。いま米国とイランは、一種の「チキンゲーム」を行っているといえます。米国はイランを屈服させるために制裁を強化し、かたやイランは、核開発の推進を脅しに用い、米国側の譲歩を引き出そうとしています。どちらも自分から先に歩み寄ろうとは考えていません。7月末にはオマーン沖で、イスラエル系企業の運航する石油タンカーが攻撃を受けましたが、米・英政府はこれをイランの仕業だと非難しました。イラン側は犯行を否定していますが、もしイランが関与しているとすれば、これも米国に対する脅しないしは警告と見なすことができます。8月6日、米中央軍は、攻撃に使われた無人機の一部がイランのものとほぼ一致したと発表し、日本を含むG7外相はイランを非難する共同声明を出しました(『京都新聞』2021年8月8日付)。イランの関与はかなり濃厚でしょう。

このような強硬路線をイラン国民も支持しているのでしょうか?

実はそこが肝心な点で、少なからぬ国民が現政権のやり方に冷やかな態度を示しているのです。それは大統領選挙の結果に如実に現れています。冒頭に「ライシ司法長官が圧倒的な大差で当選し」たと述べましたが、投票率は過去最低の49%、また、投票の13%は白票でした。つまり有権者の過半数は今回の大統領選挙をボイコットしたわけです。指導部は選挙に先立ち、立候補者を事前に審査し、ライシ候補者以外の当選者が出る可能性を排除していました。これを逆からみれば、指導部は自由な民意を恐れたといえます。

現政権に対する国民の不満は何が原因なのですか?

経済の低迷と国民の貧困化が最大要因です。とりわけ若い世代を取り巻く状況は厳しく、24歳以下の失業率は25%に上ります。少子化が進むイランでは、2014年に政府が「人口倍増計画」を打ち出しましたが、婚礼や住居購入の資金もままならない若者が急増し、結婚するカップルも減る一方で、子育て環境も悪化の一途をたどっています。通貨の対ドル闇レートは過去3年間に5分の1に暴落し、インフレ率は約40%で、食品は2倍以上に値上がりしたともいわれます(『日経新聞』2021年6月21日付)。国家自体も米国の制裁下で、原油の収入減にあえいでおり、新型コロナウイルス禍がそれに追い打ちをかけています。
2019年11月には、政府がガソリン価格の値上げを表明したことから反政府デモが発生し、中には暴徒化して「ハメネイ師に死を!」と叫ぶ者もいたほどで、300名を越える死者が出た由です。国民の怒りがいつ爆発してもおかしくない情勢が続いているのです。
ライシ新政権は、今後イスラム教の厳格化と、思想弾圧を強化していくものと予想されますが、国民の間では自由化の気運も高まりつつあり、女性たちは「ヘジャブ」と呼ばれる布で髪を覆うことに抵抗を示し出し、また結婚前の男女の交際も半ば公然化しつつあるようです(『朝日新聞』2021年7月8日付)。

まさに内憂外患ですね。果して新政権は、強硬政策によりこの難局から脱却できるのでしょうか?

それが困難なことはライシ大統領自身も気づいているはずです。選挙結果をみれば、実質的な大統領の支持者は国民の3割に満たないわけですから。国内では半年ほど前から、水不足を原因として各地でデモが起こっていますが、それが体制批判の側面をもつことは想像に難くありません。
対外的には、中国やロシアからの投資に依存せざるを得なくなっていますが、両国ともイランの核保有には反対で、完全な味方とは呼べません。
米国がそう簡単に制裁解除に向かうとは思えませんが、かりに解除したにせよ、イランの貿易事情が好転する保証はありません。というのも、世界が脱炭素化に向かうなかで、イラン産原油への需要が減ることは目に見えているからです。また、コロナの感染拡大により、世界の多くの企業がサプライチェーンの縮小を検討しており、リスクが大きい市場への新規投資を手控える傾向が出ている点もイランにとっては不利な状況です。
ライシ大統領は、外国に依存しない「抵抗経済」の推進を掲げ、前政権の外資導入策を修正する方針を示していますが、こうした内向きの政策は一時しのぎに過ぎないでしょう。
体制を護持するためには、国民の支持が得られる現実的な政策に立ち返るほかありません。今後ライシ大統領が最高指導者の地位を目指すためには、国民の信頼を得なくてはなりません。反米強硬路線によってそれを得ることができないことは明らかでしょう。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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