街のあちこちで卒業を迎える若者たちの姿を見かける今日この頃です。このままコロナ禍が収束し、この春からはまた穏やかな日常生活に戻れることを切に願っています。では早速皆さんの作品を見てゆきましょう。
◎福君の雛の小さき合はせ貝 ひろ
【評】ネットで調べたところ、徳川美術館で「尾張徳川家の雛まつり」という特別展が開かれているのですね。尾張家11代斉温に嫁いだ福君さま(1820~40)の雛道具も公開されているとか。それをご覧になったのですね。調べもよく、上品にまとめられた句です。
〇早春の光きらきら金平糖 ひろ
【評】春と金平糖の取り合わせはやや類想的ですが、なかなか雰囲気のある句です。「きらきら」が光と金平糖のどちらにかかるのか曖昧ですので、「早春の日にきらきらと金平糖」としてみました。
△~〇水仙を仏に供へ香り満つ 蓉子
【評】供えるといえば仏にきまっていますので、もう少しすっきりさせ、「水仙の束仏前に香りたつ」くらいでどうでしょう。
〇若き日のアルバム開く冬の夜 蓉子
【評】しっかりと作られた句です。俳句では一般に「夜」は「よ」と読みます。「冬の夜」は「ふゆのよ」ですね。とすると下五が字足らずになりますので、ここに「夜半の冬」という季語をもってくれば完璧です。「若き日のアルバム開く夜半の冬」。
△~〇春疾風雨戸叩きて騒ぐなり 美春
【評】「叩きて」と「騒ぐ」という2つの動詞を重ねるのはあまりよくありません。「春疾風しきりに雨戸叩きけり」としてみました。
△~〇まんさくの弾けて見ゆる常夜灯 美春
【評】「弾けて見ゆる」がどんな状態なのか今一つわかりません。常夜灯を生かして「まんさくの花をうるませ常夜灯」とするか、あえて季重なりにして「まんさくの花もおぼろに常夜灯」と作るのもおもしろいかもしれません。
△~〇ふはふはと洗濯物よ風光る 永河
【評】この形ですと「ふはふはの」でしょうか。「風光る」という季語のシャープさと、洗濯物のソフトな感じを対句表現のように対比させ、「風光る洗濯物はふはふはに」などと構成してみるのも一法でしょう。
〇鳥の目の迷ひこみさう雪柳 永河
【評】正直なところ「目が迷い込む」とはどういうことなのかよくわかりません。たとえば「鳥の目の紛れてゐたり雪柳」なら想像がつくのですが。しかし、わからないなりに原句に独自の魅力を感じますので、このまま残しておきたいと思います。
△~〇苜蓿にゆっくり沈むスニーカー 音羽
【評】「苜蓿」はふつう「うまごやし」と読みますが、この句では4音で読まねばなりませんから「つめぐさ」とルビを振っておくとよいでしょう。「ゆっくり」が今一つです。「苜蓿の中へすつぽりスニーカー」など、もう一工夫してみてください。
〇~◎春光へ翳す小瓶にシ-グラス 音羽
【評】シーグラスとは海の宝石とも呼ばれるきれいなガラス片のことですね。繊細で美しい句です。光にかざしたのは小瓶よりシーグラスのほうだと思いますので、一字だけ直し、「春光へ翳す小瓶のシーグラス」としてみました。
△~〇風光る小さき徳利を神前に 徒歩
【評】「風光る」は戸外で用いる季語ですから、どこかの神社で神事を執り行っているのでしょうか。この季語は周囲を見回すイメージですが、「小さき徳利」ですと一点を凝視する印象を受けます。作者の視線がどこにあるのか、やや曖昧に感じました。
△~〇手触りの肌理よき句集夜半の春 徒歩
【評】「肌理」といえば十中八九「細かい」や「粗い」と結びつきますので「肌理よき」に少々無理を感じました。「滑らかな表紙の句集夜半の春」など、ご再考ください。
〇~◎午後五時の母のお勤め竹の秋 多喜
【評】「お勤め」とは勤行、つまり念仏を唱えることですね。「午後五時」に律義なお人柄がうかがわれます。「竹の秋」という渋い季語も結構合っているかもしれません。
〇花時やけふ三度遭ふ同じ猫 多喜
【評】なかなかおもしろい句です。「花時」も「けふ」も時を表す言葉で重複感がありますので、花時のほうを変え、こんなふうに添削してみました。「けふ三度遇ひたる猫や花の雨」。ご参考にしてください。
△~〇春泥ごとゴールネットを揺らしけり あみか
【評】「春泥」とはぬかるみ自体のことで、「春の泥」とはちがいます。この句の場合は「春の泥」としたほうがよさそうですね。「春の泥もろともゴールネットへと」では通じないでしょうか。
〇お向かひの桜待ちたる昨日けふ あみか
【評】ユーモラスな句です。あみかさんの家には桜がないのでしょうね。「待ちをる」でどうでしょう。ほんのすこし可笑しみが増すような気がします。
〇春めきて小犬の鼻の湿りかな 妙好
【評】なんとなく犬の鼻はいつも湿っている印象がありますが、それはともかく、この上五の形(連用形)だとやや説明調になってしまいます。「早春の小犬の鼻の湿りかな」などとしたほうがすっきりするのではないでしょうか。面白みをねらうなら「啓蟄の」とする手もありそうです。
〇礁あらば礁に寄り道春の川 妙好
【評】うまく説明できませんが、この句の感覚よくわかります。春の川を擬人化し、その従順さを詠んだのですね。山口誓子にも「春水と行くを止むれば流れ去る」「うしろより見る春水の去りゆくを」という春の川を擬人化した句があります。「礁あらば」では仮定法になってしまいますので、「礁あれば」としましょう。「礁あれば礁に寄りゆく春の水」くらいでいかがでしょう。
〇園服の袖詰めしまま卒園す マユミ
【評】句意は明瞭ですし、(園の重複はやや気になるものの)句形もしっかりとしています。このままでけっこうでしょう。ただ内容的には、入園時から卒園の日まで身体があまり成長しなかったということですから、喜びよりも哀感が伝わってきました。
△~〇剪定の生木を砕く音激し マユミ
【評】見たままを写生されたのでしょう。まさにリアリズムの句です。ただし剪定といえば、手慣れた人が樹木をあまり傷つけないよう上手に枝を落としていく作業を連想しますので、この句を読むと何と手荒なことをするのかと気持ちが引いてしまいます。それとも剪定が終わったあと、切り落とした枝を処分している場面でしょうか。とすれば、「剪定のあとの生木を砕く音」でしょうか。
◎まだ固き花の蕾や母逝けり 織美
【評】俳句で「花」といえば桜のこと。お母さまは今年の桜の花を見ることなくお亡くなりになったのですね。「固き花の蕾」に作者の気持ちのしこりといいましょうか、悔いにも似たわだかまりが込められているような気がします。もう少しでも長く生きてほしかったのにという思いですね。
〇つばくらの飛交ふ城下花信風 織美
【評】花信風は「花信の風」ともいい、花の咲くころに吹く風。中国伝来の「二十四番花信風」がもとになっているとか。季語ではありませんが、燕の飛び交う季節とほぼ一致する言葉ですね。城の風格にふさわしい語と思います。しかし情景を思い浮かべると、今一つ具象性を欠くような気もします。たとえば「くばくらや風の抜けゆく天守閣」と作れば、風がもう少しリアルに感じられるのではないでしょうか。
〇力込めハンドル握る春疾風 万亀子
【評】このハンドルは自転車のことですね。誤読はなかろうと思いますが、それでも自転車と明記したほうが読み手に親切かもしれません。「自転車のハンドルぎゆつと春疾風」でいかがでしょう。
△~〇「売却済」看板の先落つ雲雀 万亀子
【評】意味はよくわかります。しかし音読してみてください。とても読みづらいでしょう。俳句は調べが命です。とりあえず「雲雀落つ売却済の草原に」としてみましたが、もっとうまく推敲していただければと思います。
〇~◎冴返る黒龍めきし葡萄の枝 さくら
【評】まだ葉の出ていない黒々とした葡萄の枝を龍にたとえたのですね。まさに「冴返る」ころの情景です。ただし龍は想像上の動物ですので、比喩としてはやや弱いかもしれません。「冴返る黒蛇めきし葡萄の枝」もありでしょうか。見方によっては季語が3つある句になってしまいますが、わたしは問題なしと思います。
△~〇初音かな夫と向き合ふカフェテラス さくら
【評】先回、ほかの方への句評にも書いたように、「かな」を上五に置くのはできるだけ避けたいところです。これは最も強い切れ字ですので、余韻をもたせ一句を締めくくるべく最後に据えるのが基本です。それと、「初音」とは本来、毎日暮らしている場所で聞くもので(それで春の到来を実感するわけです)、旅先で聞く声ではありません。極端な例を出しますと、大都会に住んでいる人が8月に山荘へやってきて、その年初めて鶯の声を聞いたとします。その人にとって初めて聞く声ですから、これを初音と呼ぶかといえば、やはり違うでしょう。「鶯や夫と向き合ふカフェテラス」。
次回は4月13日(火)の掲載となります。前日12日(月)午後6時までにご投句いただけると幸いです。皆さんの力作をお待ちしています。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。