仕事が休みの息子が畑仕事を手伝いに来てくれた。助かる。妻が出来ない事をやってくれる。
私が就農した時、38年前になるが父は、悩んでいた様だ。やはり農業収入の不安定さを危惧していたからだ。時はバブル経済、自宅近くの畑を郊外に移し、その差額で機械や作業場を整えてくれた。見栄えの良い九条葱を農薬を使いながら安定的に周年栽培することで中央市場では、高値で取引され「それなりに」上手く行ったと思う。「それなりに」と言うのは、土地神話の後ろ盾や自分の理想とする野菜作りを封印してのということだ。息子も近い将来就農することを考えている。気候変動など有機農業は、増々難しくなると思う。息子のことは、嬉しくも有り頼もしくも有るが、父の苦悩も理解できるようになった。
京滋有機農業研究会 会長の田中真弥さんが無減農薬野菜などの宅配サービスの会員向けに連載しているコラム「こころ野便り」を当サイトにも掲載させて頂いています。前回はこちら。