8月30日から9月4日までの6日間、チェコのビストルチル上院議長一行(約90名)が台湾を公式訪問しました。これに中国政府が大反発し、ほぼ同時期に欧州を訪問していた王毅外相は「14億人の人民を敵に回すものだ。必ず大きな代価を払わせる」と恫喝的な談話を発表しました。一体チェコ、台湾、中国の関係はどうなっているのでしょうか?
まずチェコと中国の関係ですが、2013年以来、大変友好的でした。同年チェコの大統領に就任したゼマン氏は「親中派」として知られ、2015年には中国と「一帯一路」に関する協力文書に署名し、貿易関係を拡大してきました。2016年には習近平国家主席がチェコを訪問するなど、両国は蜜月関係だったのです。
しかし、中国がチェコに約束した大規模投資の多くは実現しておらず、中国との貿易赤字も増大する一方で、2018年には約200億ユーロ(2兆5000億円)にまで脹らんでしまいました。また期待したほどの雇用創出にもつながらず、チェコ国民の間では中国への不満がくすぶっていました。
中国に対する経済的不信感がチェコにこのような行動をとらせたということですか?
チェコ代表団の訪台を経済的観点だけからみるのは短絡的でしょう。ビストルチル上院議長は台湾の蔡英文総統と会談し、中国が台湾への統一圧力を強めるなかで、民主主義をともに守る決意を確認しました。さらに議長は台湾の国家にあたる立法院で演説し、「民主国家は団結し、共通の価値を守ろう」と訴え、中国語で「私は台湾人だ」と述べてスピーチを締めくくったのです。最後のメッセージは、冷戦さなかの1963年にアメリカのケネディー大統領が西ベルリンを訪れ、ドイツ語で「私はベルリン市民だ」と語り、連帯を表明したことを踏まえたものです。
民主的価値観の共有もチェコを台湾へ近づけた要因だということですか?
はい。チェコは東・中欧諸国のなかでも「民主主義」「自由」「人権」という価値観にとりわけ敏感です。それは小国であるがゆえに大国の犠牲となり、歴史に翻弄されてきた経緯があるからです。1938年のミュンヘン会談では、独・仏・英・伊によって頭越しに自国領のドイツへの割譲が決められてしまいました。1968年の「プラハの春」のときは、ワルシャワ条約機構軍(実質的にはソ連軍)の戦車によって民主化運動が踏みにじられました。ですから、中国という大国の圧力にさらされている台湾への共感も他国以上に強いといえるでしょう。この点では、チェコの首都プラハの市行政府のほうがもっと先鋭的です。
それはどういうことですか?
プラハと北京は姉妹都市関係にありましたが、昨年10月、プラハ側は姉妹都市の協定文書から「一つの中国」に関する文言の削除を要求し、北京が拒絶しました。その結果、両都市の姉妹関係が解消されたのです。さらに今年1月、プラハは台湾の台北市と新たに姉妹都市協定を結んだのです。すると、今度はプラハと友好都市関係にあった上海が反発し、こうしてプラハと上海の友好都市関係も解消されました。プラハ市長のフジブ氏は、医学生だったころ台北の病院で研修を受けた経験があり、「台北は私にとって第二の故郷だ」と公言するほどの親台湾派で、今回の訪台団にも加わっています。
しかしこうなると、チェコは中国との経済関係を打ち切られるなど、大変なことになりませんか?
その点はチェコもなかなかしたたかです。今回ゼマン大統領は、台湾に公式訪問団を送ることに反対の立場をとりました。したがってこの台湾訪問は、チェコ政府によるものではなく、あくまでチェコの議会や経済人の発意で行われたという形がとられたわけです。ですから中国側も、チェコ政府との関係を決裂させるつもりはないとの方向で矛を収めるつもりのようです。それと、中国のチェコへの恫喝的言辞に対し、フランスとドイツがただちに「EU加盟国への脅しは認められない」とし、チェコとの結束を表明したことは中国をいささか驚かせたはずです。中国もEU諸国を敵に回してまでチェコに制裁を科すことはないだろうと予測します。
とすると、今回のチェコ代表団の訪台をどう評価すればいいのでしょうか?
そうですね。まずチェコは民主主義国としての意地を見せたと思います。米中対立のなかでアメリカのお先棒を担いだというより、チェコ自らの理念のもとに行動したとの印象を残したからです。そして中国には教訓をくみ取ってほしいと切に望みます。経済力、技術力、軍事力だけで他国を意のままにあやつることはできません。世界のなかで信頼を得るためには、自由、民主主義、人権、言論の自由といった普遍的な価値観を尊重することが不可欠です。国際社会が香港国家安全維持法の制定や台湾への圧力に反対するのは、何もアメリカに追随してのことではないのです。チェコの声に耳を傾ける謙虚さなくして、中国がアメリカにとって代わる世界のリーダー国になることは無理でしょう。
————————————