かわらじ先生の国際講座~「積極的平和主義」を考える

安倍首相は8月28日、持病再発のため職務の継続が困難になったとの理由から辞任を表明しました。唐突の辞任表明でしたが、安倍政権が残したもの(レガシー)をどう評価しますか?

憲政史上最長の政権でしたから、論点も多岐にわたることになりそうですが、わたしが注目するのは安全保障面です。安倍政権は日本の安全保障政策をがらりと変えました。もっといえば、日本の国家理念そのものを変えたと言っていいと思います。

それはどういうことですか?

第2次安倍政権は2013年12月、従来の「国防の基本方針」に代わる「国家安全保障戦略」を閣議決定しましたが、そのなかに「積極的平和主義」という新たな概念を導入しました。爾来、これがわが国の国家理念とされ、ことあるごとに強調されています。
先日(8月15日)の戦没者追悼式における式辞では、昨年まで使われてきた「歴史」という文言が消え、代わって「積極的平和主義」が初めて盛り込まれました。「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です」と安倍首相は表明しました。

国際社会と手を携えながら、世界平和のために積極的な役割を果たしていくことの何が問題なのですか?

たしかに言葉だけ捉えれば、反論すべき余地はありません。また、少なからぬ国際政治学者がこの「積極的平和主義」を安倍政権の功績として高く評価しています。
たとえば『京都新聞』8月30日付の「検証・安倍政権」のなかで、慶應大教授の細谷雄一氏は次のように述べています。「安全保障面では『国際協調主義に基づく積極的平和主義』を掲げた。2015年に成立し、集団的自衛権の行使を限定的に認めた安保体制はその表れである。日本外交は長らく『孤立主義』『一国主義』に特徴付けられてきた。戦前は軍国主義という孤立主義に陥ったし、戦後は一国平和主義的な外交を展開した。」

なるほど。戦後の「一国平和主義」に代わるものとして、安倍政権は「積極的平和主義」を唱えたわけですね。

その対置の仕方にわたしは違和感をおぼえます。戦後の平和主義とは何か。3本の柱があると思います。第1の柱は憲法第9条。第2の柱は非核3原則。第3の柱は武器輸出3原則です。いずれも「~しない」という形での誓約です。すなわち戦力を持たない。核を持たない、作らない、持ち込ませない、そして武器を輸出しない。いずれも否定の形をとりますから、見方によっては「消極的」ともなるのでしょう。しかし世界の国々のなかで、まして先進国のなかで、このような誓いを立てている国はほかにありません。これほど高く平和の火を掲げた国はほかにないと言っていいでしょう。その意味でいえば、これらの理念のほうがよほど積極的な平和主義なのです。それが「一国平和主義」とか「孤立主義」とか言われてしまうのは、この理念を世界へ浸透させる努力が不十分だったからです。理念そのものは極めて積極的ですし、普遍性のある価値観だと考えます。
ですが「積極的平和主義」の旗の下に、この3つの理念は今やすっかり形骸化してしまいました。憲法9条は安保法制による集団的自衛権行使の容認によって空洞化しました。非核3原則に関しては、すでに米政府との「核密約」の存在が明らかにされていますし、日本政府は国連総会で採択された核兵器禁止条約に反対の立場をとっています。武器輸出3原則については、2014年4月1日に「防衛装備移転3原則」が制定され、実質的に世界のいかなる国にも武器輸出が可能となっています。

つまり「積極的平和主義」とは、軍事力の使用を容認する形で、もっと国際的な役目を担おうということなのですね。政府が進めている自衛隊と米軍のグローバルな軍事協力の構築や、「敵基地攻撃能力」の保有などもその一環なのでしょう。しかし中国や北朝鮮の軍事的脅威の増大をみれば、日本もその動きを牽制するための軍備を増強せざるを得ないのではないでしょうか。国際テロと戦うために、日本も相応の貢献をすべきでしょうし・・・。第一、日本政府も戦争をするつもりはないはずです。むしろ戦争を防止するために、相手の軍事的行動を封じる「抑止力」として日本の防衛力を強化しようというのが政府の立場なのではないですか?

はい。政府も「抑止力」を高めるためにこそ軍備が必要なのだと説明しています。すなわち、軍備を増強し、「抑止力」をより確かなものとすることによって戦争を未然に防ぎ、結果として世界の平和を維持する。これが「積極的平和主義」の基本原理です。しかし「抑止力」に基づく「平和」に甘んじていいのかどうか。わたしはそれが追求すべき理想だとは思いません。

なぜでしょうか?

国際政治で用いる「抑止論」とは、国家が相互の国民をいわば人質にし、その命を危険にさらしながら安定を保つことです。たとえ話をするならば、隣同士、非常に仲の悪い2つの家を想像してみましょう。一方の家が相手の家に「我が家にちょっかいを出したら、お前の家族の命の保証はないぞ」と脅したとします。すると相手の家も「それはこちらの台詞だ。何かあれば、おまえの家族がどうなっても知らんぞ」と言い返します。結果として、お互いに相手の行動におびえ、先に手を出すのはやめようと自制するわけです。

それは最悪なお隣関係ですね。

そうでしょう。「抑止力」による「平和」とは、このような国家関係のことなのです。互いを軍事力で脅しながら、かろうじて戦争を食い止めている。それを「平和」と呼んでいいのかどうか。ましてそのようにして「平和」が保たれることを「積極的平和主義」だと肯定していいのか。むしろそれは「ギャングの平和論」です。道徳的にも許される話ではありません。「抑止」という脅しではなく、信頼による「平和主義」こそ、日本が掲げるべき真の「積極的平和主義」でなくてはならないとわたしは考えます。

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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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