「カナリア俳壇」31

たくさんのご投句をありがとうございました。新型コロナウイルス禍をものともせず、アクティブな気持ちで暮らしておられる皆さんの様子が作品から伝わってきて、大変心強く感じました。さっそく順にみてゆきましょう。

△ベランダで新緑眺め深呼吸    蓉子
【評】「新緑眺め」がちょっともたつく感じ。〈薫風を胸いつぱいに窓開き〉とすると、もう少し勢いが出そうです。

△友の庭地蔵三体春の風    蓉子
【評】いわゆる三段切れ。字余りになっても「友の庭に」と言わなくてはいけません。しかしあえて「友」という必要があるのかどうか・・・。

△マスク脱ぎ針槐から蕾喰む    こみち
【評】マスクは冬の季語ですから、この際省きましょう。この句は自分の行動を説明しただけですね。針槐からどんなふうに蕾を摘んだのか。それを食べたらどんな味がしたのか等々、具体的な描写をして初めて詩が生まれます。「針槐の蕾を食めば母恋し」など。

△雨上がり翻る葉よ白き花    こみち
【評】俳句ではただの「花」だと桜を指します。でも、これは別の花のようですね。せっかく歳時記があるのですから、何の花か具体的な名前を言いましょう。「雨上がり」はカットして、葉が翻りながら、その花が咲いていたと描写すれば十分でしょう。

〇バッカスの木炭画へと緑さす    音羽
【評】なかなか面白い句です。「へと」が何だか説明的です。たとえば「木炭で描くバッカスや新樹光」とすれば、その説明臭がなくなります。

◎地震の夜のひとつ泡吹く水中花    音羽
【評】地震は「ない」と読みます。これはいい句ですね。とても感覚的ですし、作者の心理的な綾も感じられます。

△~〇高々と分家の意地や鯉幟    妙好
【評】「高々と」は「鯉幟」にかかるはずですが、「や」で切ってしまうと、「意地」のほうを修飾する語になってしまいます。「高々と分家の意地の鯉幟」としましょう。

〇ワイシャツのぴしりと乾く聖五月    妙好
【評】「ぴりしと乾く」が分かったようで分からないのですが、感覚的な句であることは間違いありません。「聖五月」はキリスト教にちなむ季語ですので、宗教的な要素がほんの少しでも滲み出すとさらに面白くなりそう。「軒に吊るワイシャツ眩し聖五月」…ワイシャツを聖衣に見立ててみたかったのですが、ちょっと無理でしたかね。ともかくあと一歩がんばれば名句になるかもしれません。

△行き止まり小枝を迷うてんとむし    美春
【評】まず歴史的仮名遣いは「迷ふ」。「小枝を迷ふ」という表現も舌足らずです。こういう句は、見たままを素直に詠むのが一番かもしれません。「てんとむし小枝の先で顔上ぐる」など。

△縁側で千里見渡す初夏の里    美春
【評】「千里」は大げさなような気がします。「縁側に立てば目映し初夏の里」くらいでどうでしょう。

〇囀るや根性坂を走る子に    えみ
【評】きっとこの「根性坂」は、ここをランニングの練習コースにしている学校の子供たちがつけたあだ名なのでしょうね。小鳥たちの囀りが、がんばって走っている子を応援しているようです。

〇ゆらゆらと研師の桶の花蜜柑    えみ
【評】研師がものを研いでいると、その桶の水に映った蜜柑の花がゆれているのですね。ただ、刃物の研ぎ澄まされたイメージと合致させるなら、揺らさない方がいいかもしれません。「花蜜柑映す研師の桶の水」とする方法もありそうです。

◎退院の母を迎ふる柿若葉    多喜
【評】お母さんを待ちわびていた感じがよく出ていて結構です。この「柿若葉」は取り合わせの季語でしょうが、何か柿若葉まで待っていてくれたようにも読めますね。心優しさの伝わってくる句です。

〇通学路歩く日課の一年生    多喜
【評】コロナ禍で休校だけれど、毎日、通学路を行っては帰ってくることを繰り返しているというわけですね。この子の早く学校に行きたい気持ちが痛いほど伝わってきました。「コロナ禍で休校続く」と前書を付けておきましょう。でないと、当たり前のことになってしまいますので。

◎陣痛の始まる気配夕焼空    多麻
【評】付き添いの母親の立場から詠んだ句と推察します。この不安な感じや出産のイメージが、夕焼けの赤い色とよくマッチしているように感じます。よくこの季語を探り当てたなあと感心しました。

◎しやぼん玉泣き止まぬ児をおんぶして    多麻
【評】保育園での風景でしょうね。この子をあやそうとして一生懸命な保育士さんの様子が見えてきました。それにしても、おんぶしながらシャボン玉を吹くなんて器用ですね。ちょっとユーモラスでもあります。

〇川端ではしゃぐ親子に夏は来ぬ    豊喜
【評】「親子に」の「に」が説明的といいますか、ちょっと理屈っぽくなります。川端で遊んでいる親子を見て、「ああ夏が来たんだなあ」と実感した句に仕立てたほうが素直だと思います。「川端ではしやぐ親子や夏は来ぬ」(「はしゃぐ」の「や」は大きく)。

〇コロナ禍に卯の花腐し止む気配    豊喜
【評】これも「コロナ禍に」の「に」が気になります。何か因果関係を詠もうとしているようで、どうしても理屈っぽくなってしまいます。切れ字「や」でいったん切りましょう。「コロナ禍や卯の花腐し止む気配」。コロナ禍と卯の花腐しの関係は、読者の想像力に委ねればいいのです。

〇新緑の光りあまねく長良川    永河
【評】スケールの大きな句ですね。これがもし小さい川なら、「新緑の光の中を」とでもするところですが、長良川のような大河なら「あまねく」という措辞も納得です。「光り」の「り」をとり、「あまねく」を終止形にして、「新緑の光あまねし長良川」でいかがでしょう。ただし連用形にするか終止形にするかは、そうせよというセオリーがあるわけでなく、好みの問題ですので、ご参考までにどうぞ。

△~〇窓開けて落語聞きゐる薄暑かな    永河
【評】たぶんご自宅でラジオかテレビの落語番組を聞いているのでしょうね。この季語ですと、暑いから部屋の窓を開けたというふうに読者は理詰めでとってしまいます。句からそういう理屈を消し去りたいところです。「初夏の窓全開に落語聞く」、、、では近所迷惑でしょうか。

〇数よりもこの一本の杜若    徒歩
【評】「この一本」と強調しておられるので、きっと格別思い入れのあるかきつばたなのでしょうね。どこか人生訓的にも読めるおもしろい句です。ただ、屁理屈をこねますと、そもそも俳句とは「この一本」、「この一つ」、「この一期」を詠む文芸です。つまり俳人は、まさにこの句のような心ですべての季語に対しているのだともいえそうですね。

〇~◎雪渓やロゴNYの野球帽    徒歩
【評】「雪渓」ときましたので、雄大な展開になるのかと思いきや、NYのロゴですか。このかわし方が意想外で面白い。鷹羽狩行先生のパセリの句をふと想起させるポップで瀟洒な作品です。

△~〇若楓垂るる土塁の高さかな    織美
【評】このままですと「若楓」と「土塁」の位置関係が今一つよくわかりません。「若楓触るる土塁の高さかな」でしょうか。この土塁がどこのものか分かるとさらによいですね。何か前書きがほしい句です。

△豌豆のぐんと伸びきり背丈越す    織美
【評】童心が感じられるのはよいと思いますが、全体に説明的で、読んでいてちょっともたつく感じがします。「豌豆の蔦我が背丈越しにけり」など。

次回は6月2日(火)に掲載の予定です。前日の午後6時までにご投句下さると助かります。そのころにはコロナも収まっているといいですね。河原地英武

「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスは efude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。


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