Weekend Review~「愛なき世界」

これまで何度も三浦しをんの作品を取り上げているので、またかと思われるかも知れませんが、「愛なき世界」がすごく好きだったので、紹介します。「愛なき世界」とは、思考も感情もなく「愛」という概念がない世界を生きる植物のこと。植物といっても何故こんなに多種多様な形状や特性を持っているのか、どうしてジャガイモと人間は形状も性質もここまで違うのか。偶然が積み重なって今の地球に散在する生態系が出来、もう一度地球の歴史をやり直しても、すべての偶然を同じ様に繰り返すことは出来ない。その謎を解き明かしたいと観察や実験を繰り返す植物学者達が魅力的に描かれます。イモの研究を続ける諸岡はもうすぐ定年で、「まだまだ知りたいことがあるのに、一人の人間に与えられた時間はあまりにも短い。若い人が熱心に研究に取り組んだり、応援してくれる。それが希望です」と語ります。東大をモデルとしていると思われる理学部B号館の80年以上の歴史は、研究した人々の歴史。大学近くの洋食屋「円服亭」藤丸は重ねられた時間と学問の厚みに気が遠くなる思いだけど、料理の試行錯誤は厭わない。ジャンルは違っても、もっと知りたいという思いはどの仕事も同じですね。探求心は人間の根源的なもので、たどり着けない故に「きれいとさびしいは似ている」と感じるんだろうと思います。藤丸が恋をしたシロイヌナズナの葉っぱの実験を続けている本村は院生なので、まだ仕事とは言えないけれど、辞書編纂に携わる人々を描いた「舟を編む」や義太夫に精進する人々を描いた「仏果を得ず」など、三浦しをんのお仕事小説はどれも読んでいて楽しいし、色々あるけど、歩み続ける人間って良いなと思わせます。
これを読んで改めて思ったのですが、三浦しをんの作品って善人しか出て来ないんですよね。松田研究室のメンバーは皆、互いにライバルだけど仲間でもあり、サポートしあう関係。殺し屋みたいな風貌の松田教授も他の作品に描かれている人物もかなりクセが強いけど、人を陥れたり足を引っ張る様な人が一人もいない。終盤でポスドクの岩間が藤丸に毒づく場面があるものの、彼氏とうまく行ってなくておかしくなってたとすぐ素直に認めて謝罪するし、本村が大失敗に気づいた時も松田は「予定通りに実験を進めて、予想通りの結果を得る。そんなことして、なにがおもしろいんですか?」「実験で大切なのは独創性と失敗を恐れないことです。失敗の先に思いがけない結果が待っているかも知れないのですから」と前向きにアドバイス。
「これからの時代は研究者以外に研究をわかりやすく伝えることも大事。そうでないとすぐに結果が出ない、人の役に立つ研究以外はすべて無駄であり無意味であるという悲しき成果主義、功利主義が世の中を覆いつくしてしまう」と諸岡は言います。この作品が出版された2018年には既に基礎研究を疎かにする風潮があったんですね。研究費の「選択と集中」、軍事研究を拒否する日本学術会議への政治介入、アカデミアの場に「儲け」を持ち込む姿勢等、諸岡の危惧は現実世界でどんどん加速していると感じます。学術軽視が進んだ2024年を松田研究室の面々がどう過ごしているか、続編を読んでみたいものです。(モモ母)


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