TO BE OR NOT TO BE

病院は川沿いにあり景色はいい。が、病室からじゃヨモギはつめない。

前々回のコラムに悪役(マッチョな支配者)で登場した父が、先月来入退院を繰り返し、死にかけている。
腎不全。塩分過多人生を好き放題送ってきた91歳の老人に、ついにそんな名の鉄槌が振りおろされた。
脳はもともとアルツハイマーに侵されてて、生活にいろんな支障を来していた。
人に何かをやってあげること、社会で役立つ人間であることが、マッチョな父にとっては生きる意味。それが頭も体もうまく働かなくなってきてしまい、ここ数年、死にたい死にたいと、ことあれば言う。
尿が出なくなり、体中パンパンにむくみ上がって緊急入院した直後の病院の説明では、このままでは余命1,2ヶ月。ついては、どうしたいか次の3択から選べという。

土手で草摘みをする在りし日の父(奥(手前は孫))

①透析をする(腎不全問題解消) ②病院通いしながら、いざとなったときに透析(手遅れのリスク) ③透析しない(1,2ヶ月で苦しんで死ぬ)

これじゃ①以外の選択肢ないじゃん、て思ってたら父は死にたいから③でいい、と言うのである。ホントかい?って思って、面会のたびに話をしてくうち、いろんな勘違いや思いこみがあることがわかってきた。
透析しなくても、緩和ケアの医者がいろいろやってくれ、眠るように死ねる、と思ってたり、透析するとその腕は使えない、風呂にも入れない、人間終わり、って思ってたり。でどうせオレはもう本とかも読めず、生きてても犬猫と同じで、金かかるだけで意味がない、でここ(病院)から出てお前(母)とごはん食べたり、お前ら(母や私)と土手散歩してヨモギ摘んだりできれば、もうそれで死んでいいから、透析やめて早くこっから出してくれ、って泣きそうになって言うのだった。
母や私はその思い込みを正そうと、声を荒げて(耳が遠いので)③は苦しいよ、①にしようよ、とあれこれ理屈を並べて叫ぶように言うのだったが、成功しない。一旦、「わかった、そんなに言うなら透析するよ」ってなっても、次行くと「やっぱやだ」って戻っちゃってて、そんなことの繰り返しで埒があかず、結局②を選ぶしかないかね、と母と話した。

病院との面談用に準備したメモ

そんな折、看護士(ベテラン)をしている知人と会う機会がたまたまあった。用のついでにわが家の上記ゴタゴタについて簡単に話し、「やっぱ、透析しないと苦しいよね? どうなっちゃうの?」と聞いた。母も私もうちで苦しまれるのはたまんないし、父の勘違いポイントだから、「家で楽に死ねる」を明解に否定する「苦しみの具体例」を聞きたかった。

ところが彼女は、体がふくれて動けなくなり苦しいが、透析しないまま5年生きた患者もいた、と私の意にそぐわない答えを返した。
それから「お父さんは家に帰って、土手を散歩したいって言ってるんですね?」と聞いた。
そうだと言うと、「家に帰って、土手を散歩する、がお父さんの希望なら、」と繰り返し、「そこにフォーカスをあてればいいんですよ」と優しく言った。どう生きたいか、生きてなにをしたいか、患者の希望を受け止めて寄り添うのが臨床の基本で、父が「家に帰って、土手を散歩したい」なら、そんなはっきりした希望があるなら、簡単じゃないですか、と言ったのだ。

とりあえず首からのカテーテル透析が始まり首から変なのぶら下げる父

なるほど!
私の目からパラパラと鱗が落ちた。
命のことを選ぶ、ことのプレッシャー。「透析する/しない」を「生きる/死ぬ」ととらえ、その難しさに、今まで家族全員ハムレットみたく悩み、困り果てていたけれど、ホントだ、きっとこれは実は簡単なことだったんだ!

母に言うと母も「なるほどね!」と納得、翌日二人で父と面会。じっくり希望を聞いてみる。するととにかく退院し、家で母と食事したり、散歩したりしたい。しかしそれだけでいいのか、役に立つことをできなくていいのか、という矛盾した気持ちで、父も揺れている、ということがわかった。
で腎臓病の緩和にモルヒネは使えないみたいだというと、そうか、と怯えたような表情になる。本当は父も恐いのだ。

透析するための手術同意書についにサイン

翌日医師から、検査結果を受けての詳しい病状説明があった。腎臓は予想より急ピッチで機能不全になっていて、透析しないと1週間ぐらいで手の施しようがなくなるみたい。
私は医師に、家に帰り、家族と食事したり、今までみたいな生活をしたい、それが本人の一番の希望だと告げる。それなら我慢しても少し入院し、透析して元気になって家に戻り、週3日の透析を続ければ、残りの時間は何の制限もなく使えますよと、医師は言った。
父は透析にまつわるさまざまな不安点を医師にぶつける。医師は丁寧に答え、説明する。はじめると365日透析の針が腕に刺さったままなのでは、という思いこみも解消され、じゃあ透析をしてみるか、と父は言った。

このコラムが公開されるころ、準備も終わりそろそろ第1回目の透析が始まっているはず。
「やってあげる」側でばかり生きてきた父。でも「やってもらう」生もある。「居る」だけの生も「食べて寝る」だけの生もある。そしてそんな生にだって意味はあるんじゃないかと思う。

家族の希望も改めて整理

なにしろ結局父を生かしたのは、父を「生」の方向に向かわせたのは、土手のヨモギとか、母との食事とか、そんな何気ない、「意味がない」みたいなものだったのだ。

命のことを決めるのって本当に大変。自分自身ですら、生きるべきか死ぬべきか、わからないんだな、決められないんだなって。

でもだから、医療っていうのは「生かす」だけが目的じゃなくて、その人が望む生のありよう、その人に寄り添ってそれを一緒に探し、そこを目指していくものなんだなって。
それでまた、その人が「生きたい」と思う環境があること。その環境それ自体が医療の役割をしてるんだなって。

そんなこともわかったし、とりあえずお葬式や相続問題とかのバタバタにはならなそうだし、今月は忙しいけど実りもあったかな。
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★塔島さんの著書が紹介されます★
3月25日(月)のNHK Eテレ「趣味どきっ!読書の森へ」で塔島ひろみさんの著書「楽しいつづり方教室」が紹介されます。昨年1月の記事でリンクしたものと同じ内容です。4月1日(月)には再放送もあります。昨年見逃した方は、是非ご覧ください。

◆番組名:NHK Eテレ「趣味どきっ!読書の森へ 本の道しるべ #8 Aマッソ・加納編 」
※アンコール放送のため、2023年初回放送から内容に変更はありません。
放送局:NHK Eテレ
放送日: 2024年3月25日(月)   夜9時30分~55分
再放送: 2024年4月1日(月)    昼0時15分~40分


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塔島ひろみ<詩人・ミニコミ誌「車掌」編集長>
『ユリイカ』1984年度新鋭詩人。1987年ミニコミ「車掌」創刊。編集長として現在も発行を続ける。著書に『楽しい〔つづり方〕教室』(出版研)『鈴木の人』(洋泉社)など。東京大学大学院経済学研究科にて非常勤で事務職を務める。


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