だんだん春めいてきました。ここのところ、また寒いので体調管理は慎重にしなければなりませんが。
さて、春と言えば旅立ちがあり、新たな始まりがあります。そんなとき、「最近の若いもんは・・・」から始まる小言を聞いて、その最近の若い人がいい気分になることはないと思います。しかし、自分よりも若い人を見て、自分の時と比較して、いろんなことを考えるのは、人間の自然な行動なのだろうと思います。自分と、自分よりも若い人を比べて不満に思うのは、ある程度歳を重ねた人だけでなく、中学生ぐらいの人たちからも聞こえてくる言葉なので。
「今年の1年ってさぁ」から始まる、先輩の言葉を聞くと、多くの“後輩”1年生は、ドキッとするのか、ムカッとするのか、何とも動じないのかは、今世代の1年生でない私には実感はわかりません。しかし、“先輩”にとっては、そういうセリフを使う場面では、多少は心に波風や、ささくれがあるようなことが多いかな、と思います。直感的ですが。もちろん、全てがそうとは限りません。後に、肯定的な意見が続く場合も考えられます。その波風が「先輩風を吹かせる」ことで起こるのかもしれません。
なぜ、(いくらかの)人は若い世代や、後から入ってきた人について、否定的な意見をもち、やや攻撃的や威圧的ともいえる言葉で表現してしまうのでしょうか。40代後半の私は、「最近の若いもんは」と言えるぐらいの年月は過ぎたと思っていますし、とはいえ、もう少し年上の人から見ると、まだまだヒヨッコだと認定される年齢でもあると思っています。そんな私が、自分よりも年下の人と触れ合う機会には、やはりいくらかカルチャーショックを受けることがあります。
災害や防災について取り組んでいると、兵庫県の南部の住民であれば特に、「阪神淡路大震災」の経験については、価値観の共有ができる大きなポイントな気がします。やはり、同じ経験をした、ということは、実際はどうとはいえ、感覚的にはなんとなく共通点を持っているという前提に自然と立っている気がします。しかし、震災後に生まれた人たちは、30歳近くになっていらっしゃるわけで、私が仕事で出会う人にも、震災後生まれという人が増えてきました。災害の話題の折に、「そうか、阪神淡路大震災を経験していないのか。あの揺れや、その後のことを、経験していないのか」ということに気づくと、歳の差を感じる以上に、何かの差や枠を感じる気がします。共通点を持っているか否か、というのは、ある場面では、自分の考え方や感じ方に大きな前提をもたらすようです。
振り返ると、幼児の頃や小学校低学年の頃には、「同じものはどれでしょう。違うものはどれでしょう」という、差異を発見する学びの機会は、いろんな形でありました。遊びのなかで、授業のなかでも、暮らしの中で。同時に、乳児から幼児、子どもから大人へと成長する中で、自分と他者の違い、自分と親しい人とそうでない人の違い、仲間という概念も身につけました。共通の経験に、共通の感情を持てていると思う人は、仲間だと自然と思いやすいのかもしれませんし、安心できる気がします。逆に、自分とは異なる場合には、なんだかんだと理由をつけて、自分の優位さを保ち安心を維持するためには、相手に理由をつけないといけないのかもしれません。
一方で、過去の出来事を経験していない、知らないということは、知識や経験の上ではそれが多いほうが上というのであれば、そこに焦点をあてると、年上のほうが圧倒的に優位です。年上というだけで、優位に立てます。1年ほど前にSNSでよく流れていた、バンドのSEKAI NO OWRIさんの歌には「説教するって、ぶっちゃけ快楽」という言葉がありましたが、「最近の若いもんは」に続く言葉が小言であれば、そんな気持ちが存在するのかもしれません。つまり、先輩風がここでも吹いているのでしょう。
社会福祉の仕事をしていると、子どもや、「若い人」に、尊厳尊重や人権擁護や人を大切にする話をすることがあります。そんなとき、果たして私は、多様な社会に自らが馴染んでいこうとできているのか、自分自身を振り返る必要があると感じます。
いろんな権利や尊厳という概念は、自然と人間が手にしてきたものではなく、過去にいろんな人がいろんな形で働きかけて、今の私たちが、それを手にしています。もちろん、まだまだそれらが、完全で十分な状態で手に出来ているわけではありません。災害で、戦争で、日々の暮らしの中で、私たちの尊厳はしばしば大きく損なわれる機会があります。
自分と、新入生や新入社員や、若い世代の人とを比べているとき、その先の考えに、相手と自分の尊厳が尊重されるように、考えていくことが大切です。尊厳が尊重しあえる社会は、平和で暮らしやすい世の中になるはずです。
3月と4月は、新しい暮らしへの切り替え時。新たに始めた人に対して「最近の新しい人は…」と思ったときには、先輩としては先輩風を吹かさずに温かい眼差しで迎え、新しい風をもたらす人たちを尊重し、そこから学べることがあると、”先輩”も、2024年度の新しい自分がスタートできるでしょう。
皆さんは、2024年度を、どんな新しい年度にしようと思っていらっしゃいますか?