「選択する」の意味―不登校にまつわる誤解(1)

先週にあった東近江市の市長の不登校をめぐる発言が話題になっています。NHKの報道がバランスよくまとめていたと思います。


私は現在、滋賀県域を対象にした「不登校になっても孤立しない町づくり」をめざすプロジェクトのお手伝いをしています。市長の発言については改めては述べませんが、不登校にある子どもたちに関して、授業の際などに学生からも寄せられるよくある誤解について、書かせていただこうと思います。それは当事者やその保護者が使う「学校に行かないことを選んだ、選択した」という表現です。
事情をよく知らない人はそれを、比較的気楽な選択と誤解するようです。実際にはそんなものではありません。不登校に至る原因は様々ですが、「学校に行くか、それとも死ぬか」といったところまで追いつめられて、そして「学校に行かない」という「選択」をしているというのが通常です。例えば、小学校低学年のお子さんで、比較的身体が小さい場合など、親が車に押し込むようにして連れて行こうとしたが、動く車のドアを開けて飛び降りようとしたという話などもあります。「動く車から飛び降りたら死ぬかもしれない」ということを、お子さんはもちろん知っています。引きこもり・登校拒否のイラスト
他方で、学校に行かなければ安全かというと、そんなこともありません。小学校低学年児と中学生では具体的な状況は異なるものの、自宅で孤立して過ごさなければならないとすれば、「安全な環境にいる」とは言いづらいです。だからこそ、フリースクールも含めた居場所や学びの場所が必要になるのです。そして現在、学校にもフリースクールにも、行政の教育支援センターにも行くことができずに孤立状態にある子どもたちや、結果として、健康状態が大変悪くなってしまった人々もいます。
なお、混同されやすい状況に、オルタナティブスクールやインターナショナルスクールに通うことを選択するという場合があります。これらの学校は、日本の法制度では公教育に位置づいていない学校です。オルタナティブスクールは、京都の近隣では、京田辺にあるシュタイナー学校や箕面子どもの森学園などがあります。インターナショナルスクールは、もともとは日本で暮らす外国人児童のための学校でしたが(逆に海外には「日本人学校」がありますね)、昨今は日本人の家庭が子どもを通わせることが増えています。

公教育の学校に通っていた子どもが、不登校を経てこれらの学校に編入することもありますが、最初からこれらの学校を選んで通っている子どもたちもいます(小学校から行く場合、実質的には親御さんによる選択となるかと思います)。ただこれらの学校については、少なくとも親御さんが高い学費を支払ったり、子どものために移住したりする力量がある状態なので、「フリースクールに通うための行政からの支援がなければ、孤立して健康状態まで損なわれる恐れがある」という不登校児童生徒の状況とは、異なる状況と言えると思います。
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西垣順子<大阪公立大学 高等教育研究開発センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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