同じ路地に住む、独居の高齢男性(Fさん)が、先日亡くなった。
Fさん宅の向かいに私の両親が住んでいる。両親はともに90歳。
亡くなる数週間前、Fさん宅の雨戸が3日連続で開かないのに、両親が気づいた。
心配し、事情通のSさん(やはり近所の高齢男性)に聞いた。そしたらSさんも気になってるけど事情を知らず、3名の高齢者で民生委員の家を訪ねた。
すると民生委員も知らなかった。先に民生委員が訪問した際、Fさんは自分でできるからと福祉サービスを断ったそうだ。
民生委員は1軒の酒屋さんの名前を挙げた。古くからこの地区にあるその酒屋は、民生委員の元締め的なことをしているらしく、たいていのことはそこで解決するそうだ。
3名の高齢者+民生委員で酒屋さんへ。すると酒屋さんがあちこちに問い合わせ、事情がわかった。
Fさんは入院していたのだった。
そんな顛末を親から聞いて、私はびっくり。路地入口のFさん宅の雨戸が閉まりっぱなしなことにも、私は気づいていなかったからだ。
そしてFさんは家に戻らないまま亡くなった。
それもSさん→両親→私、という順番で情報が流れ、私は高齢の親が近所にいなかったら、Fさんが亡くなったことさえ恐らく知らないままだった・・・。
市民ソーシャルワーク。
葛飾区の某区議が開いたタウンミーティングで、そんな言葉を教わった。
災害時は地域全体・地域に住む全員が被災する。支援者も役人も被災する。施設も行政サービスも機能不全で弱い者が取り残される。そのとき、一般市民がソーシャルワーカーになることで、取り残された人を見つけ、助けられる。大事なのは専門職ではない私たちが、普段から地域にアンテナを張り巡らし、困っている人や支援が必要な人を知っておくこと。それがいざというときの支援につながる。
そんな内容の講演で、対人支援の基礎ルールとかも教わった。
前の例でのSさんと両親の行動は、まさにこれだった。というわけだ。
普段から地域にアンテナを張り巡らし、支援が必要な人を知っておき、いざって時に支援をする。でも、私とか、その他の近所の人は、やんなかった。
働いてて、日中は地域にいないからだ。日中不在で、アンテナを張り巡らすのは容易ではない。張り巡らしたところで、いざって時に地域にいない可能性だって、十分ある。
仕事がなく、在宅でぶらぶらしている高齢者の存在。それがだから、地域にとって非常に大きく、頼もしい。
だけれども、高齢者はいざって時には自分自身が要配慮者となってしまう! 私の父は要介護の認定を受けている。
ムリだよ、と思った。
2011年の東日本大震災。
そんときも私は職場にいた。
私と子どもたちは当時目黒区内のボロアパートに住んでて、職場のビルが大揺れするたび、アパートが倒壊し、子どもが下敷きになってるんじゃ、とハラハラした。
夜遅くになんとか帰りつくと、子供らは近くの「おばあちゃんち」にいて無事だった。
聞くと、地震が起きたとき息子だけがアパートにいて、同じアパートの1階にある団子屋さんが心配して保護してくれたとのことだった。
市民ソーシャルワーク。
そのボロアパートの1階部分は全部店舗で、団子屋、花屋、電気屋だった。その向かいにパン屋と飲み屋があった。でそのお店の人たちはみな、すぐ近所に住んでた。
いつでも地域にいて、さまざまな近所の人と毎日のように言葉を交わすお店の人たち。
シングルマザーである私や子どもは、彼らに何回も助けられた。
うちばかりではなく、近所の父子家庭の家の子も助けられてたし、高齢で一人暮らしをしてる人のこととか、よく団子屋のおばさんが心配していた。
あの地域では「市民ソーシャルワーク」が成り立っていた。
そこに住み、昼間もそこにいる人しか、なかなか地域の事情を知れない。アンテナを張れない。
そう考えるとき、個人商店というものの価値が浮かび上がる。
商店街がない住宅街にも、昔は「角のタバコ屋」というものがあった。銭湯があり、床屋があった。
先述のタウンミーティングを主催した区議は、立石の再開発に「賛成」の立場。
その区議に
「災害が起きたとき、必要なのはこういう「昼間も夜もそこにいる、何でも知っている動ける大人たち」のネットワーク、それは「商店街」なのではないでしょうか。
頑丈な縦方向のまちづくりがあちこちで進められていますが、防災に必要なのは、むしろ逆の、横方向にゆるやかにつながったまちではないでしょうか。」
なーんて偉そうに、メールを送った。
返事は来なかった。