テレビでも少し報道されていましたが、諸外国と比べてかなり高い日本の被選挙権年齢の引き下げを求める公共訴訟が始まりました。
選挙に立候補できる年齢が、公職選挙法で25歳または30歳と定められているのは、国民主権や選挙の平等などを定めた憲法に違反すると主張して、10代から20代の若者6人が立候補年齢の引き下げを求めて東京地方裁判所に訴えを起こしました。https://t.co/OC89d5Oaty#nhk_video pic.twitter.com/n6VZJaPxPK
— NHKニュース (@nhk_news) July 11, 2023
原告の1人である能條桃子さん「若い世代の代表がいれば若者向けの施策が増え、低投票率の改善にもなる。裁判を機に本当に今の年齢ラインがいいのか議論が進めば」
10〜20代の6人が「被選挙権」求め提訴 選挙権と年齢異なる理由は?:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/up50YYJWv6— 弁護士 亀石倫子@立候補年齢引き下げ訴訟弁護団 (@MichikoKameishi) July 10, 2023
「公共訴訟」という言葉はあまり馴染みがないかもしれません。社会の制度等を変えていくための方法として、一般的に思いつくのは政治かと思います。しかし政治だけでは、うまくいかないこともあります。民主主義のもとの政治はどうしても、多数の人の意見が通りやすいです。少数者の意見を無視するわけではないとしても、後回しにされがちなことは否めません。
そこで、別のルートとして登場するのが司法です。司法が「この状態は違憲だ」と判断すれば、立法府は法制度を新しくする必要が生じます。
比較的報道されている行政訴訟としては、選択的夫婦別姓を求める訴訟や同性婚を求める訴訟などがあります。国外に居住する日本人が選挙権を行使できるようにした訴訟など、「成功例」もあります。
世界120カ国以上で、選挙に立候補できる被選挙権は18歳や21歳になっています。なぜ日本は25歳、30歳のままなのか。国民主権や法の下の平等に反するのではないか。若い世代たちが公共訴訟という手段で問題を提起しました。
関連する記事を書きました。https://t.co/q1CUkRHRnf
— 浜田敬子 (@hamakoto) July 10, 2023
さて、かつては20歳以上だった選挙権は18歳まで引き下げられましたが、被選挙権年齢は高いままにとどまっています。この状況は国際的にみて極端であること(被選挙権年齢が高すぎること)や、それによって若い人たちを政治から遠ざけている可能性を指摘する声は、研究者やNPO法人の運営者などから、以前から上がっていました。
女性議員比率(衆院)193カ国中165位、内閣平均年齢61歳のこの国だけは異次元みたいだな。 / 両角達平 / 1件のコメント https://t.co/oBZcwhkcSK “被選挙権年齢を下げれば若手の政治家が増える?海外事例が教える被選挙権年齢引き下げのポイント | ハフポスト” https://t.co/02ffZbn1PH
— akupiyocco (@akupiyocco) December 12, 2019
【SPPECH】なぜSEALDsは香港雨傘革命のように議会進出できなかったのか「政治制度の問題」 https://t.co/s8ti1BN6N4 pic.twitter.com/pOheMwthXf
— クマったモン。@事情通 (@xkumabotx) September 28, 2016
【メディア掲載】
被選挙権年齢について、日本若者協議会の室橋祐貴代表理事のインタビューを掲載して頂きました。「25歳の壁」って何?被選挙権の年齢引き下げが求められる理由https://t.co/fG1hPvJFle
— 日本若者協議会ー若者の声を政治に届けよう! (@YPJ2019) July 31, 2022
そして今回、当事者である若い人たちが行動を始めました。裁判は始まったばかりですが、行方を見守っていきたいと思います。また現実的な話、公共訴訟には(上の記事の通り)資金も必要で、クラウドファンディングなども行われています。
原告団の一人の能條桃子さんが、訴訟に至るいきさつ等について話している動画もありましたので、紹介しておきます。
なお、原告は若い人たちでも、それを支えている「年長者」は弁護士さんをはじめ多数存在しています。そのことについて一部の人たちが「原告は操られている」といったことを言うこともあるようですが、それは違うと思います。そもそも、当事者と支援者が一緒に声を上げるというのは、どのような問題についてでもあることです。
私自身も、大学のあり方や学費問題等について様々な要求活動をしている学生の話を聞いたことが何度もあります。彼女・彼らは自分の意志で行動をしていましたし、周囲の年長者は様々に支援をしたり励ましたりしていました。「年長者が支援している=年長者に操られている」というのは、若い人たちに失礼ではないかと思います。
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