Weekend Review~「誰のための排除アート?‐不寛容と自己責任論」


鴨川の「いけず椅子」をtweetしていた人が紹介していた岩波ブックレット「誰のための排除アート」を読んでみました。まず書かれていたのは、やはり2020年に東京・渋谷区のバス停に座って夜を過ごしていたホームレスの女性が殴打されて死亡した事件。「座って」いたのは、路上生活者が横になれない様に仕切りが付いた排除ベンチだったから。著者で東北大学大学院教授(専門は建築史・理論研究)の五十嵐太郎さんは、現場となった幡ヶ谷原町のバス停周辺をフィールドワーク、まず現場のベンチが奥行き20センチ程度、長さは90センチ以下と想像以上に小さかったと書いておられます。バス停近くの幡ヶ谷第一公園にも2つの排除ベンチ、第三幡ヶ谷公園の入り口にも仕切り付きベンチが2つ(公園内はベンチなし)、甲州街道沿い細長い公園には円形の腰掛け、かなり歩くと仕切りのついたベンチがあったとのこと。バス停を選んだのは、雨露をしのげる屋根がついていたことと公園は照明が少なく、夜は暗くなるけれど、甲州街道沿いは街灯があるので女性にとって安心な場所だったのではないかと五十嵐さん。確かに夜の真っ暗な公園で一人で寝るのは私も怖い。横になれないベンチで一夜を過ごすしかなかった女性の気持ちを思うと、読んでいて涙が出そうになりました。

7月5日の記事で、90年代に人に優しい街づくりが進んでいると思ったと書きましたが、それが間違いだったとこの本を読んで知りました。横になれないベンチや駅前や地下道などの突起物が散りばめられたオブジェ等の「排除アート」は、90年代に既に登場し始めていたとのこと。ホームレスが目立つ様になった新宿駅西口通路でダンボールハウス村が撤去され、フェンスを張り巡らせたり、コンクリート製のプランターを多数並べられたのが1996年。その後もプランターや彫刻などのオブジェを置きながら、柵やチェーンで人を滞在させない様な仕掛けがあちこちの公共空間に増えて行きました。そこには「~禁止」とは書かれていない。見た目がアートっぽいので、大半の人はその排他性を意識しない、つまりマジョリティを無関心にさせるのが大きな特徴。かくいう私も、なんか変だなと思い始めたのはここ10年くらいです。でも、その間に日本には無言の圧力が少しずつ増殖していました。そして排除ベンチは半径のリング型になったり、真ん中に花壇を入れたり、どんどん進化しています。

五十嵐さんは「何も考えなければ、歩行者の目を楽しませるアートに見えるかも知れない。ときには愛らしい相貌をもつケースさえあるから厄介だ。しかし、その意図に気づくと、都市は悪意に満ちている」と書いています。余談ですが、はっきり言わないけど拒絶するって何だか京都人らしい気も。特定の人が使いにくい様に作られたベンチは、一般の人にも使いづらい。東日本大震災で多くの人が帰宅難民になり、駅の周辺で夜を明かした人も多かったはずで、災害などの非常時に、あるいは日常でも街中で具合が悪くなった時に排除アートは誰に対しても牙をむく、「排除アートから考えるべき課題は、住みやすい街とは何か、という根源的な問いでもある」と五十嵐さんは言います。五十嵐さんが地下街を10分近く歩いて、ベンチはひとつもなかったけれど、お金を払えば座れるカフェは存在したそうです。広場や公園などの公共空間は排除アートで人を拒み、有料で入場するテーマパークやイベント会場作りに躍起になったり、住民よりインバウンドを優先する街が住みやすいはずがないと思うのでした。(モモ母)

 


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